教育福島0191号(1995年(H07)11月)-023page
教師生活をかえりみて
梅宮眞藏
木々の葉をひる返し、薄の穂を大きくゆすって秋の風が下りて来る。旧宿場通りを過ぎ、しばらく歩くと、道路の分岐点に、石地蔵が一人、『右若松・左柳津』と深く刻まれた台座の上に立っている。
赤い頭巾に頭陀袋、誰が着せてくれたのか前掛けの下で両手を合わせ、秋の陽ざしを受けている。
時代が変わるとともに、新たな道ができ、この道を通る人の数も少なくなった。「先生」と呼ばれるようになってから、すでに長い歳月が流れ、教育についても時代の流れを感じるこの頃である。
戦後間もない時期は生活も厳しく、物も今のように豊かではなかった。校舎も木造で、教育機器と呼ばれるテレビやビデオ、OHPなども整備されてはいなかった。
しかし、学校は今以上に楽しかったように思う。給食が開始されたとき、残す児童はほとんどいなかった。私自身も若かったこともあり、児童といっしょによく遊んだように記憶している。
現在、毎日のように「いじめ」や「登校拒否」等の問題が新聞やテレビで報道されている。また、それらのことを解決するために、関係者が論議を重ね、効果的な指導方法を見い出そうと努力されている。
学校という現場においても、児童一人一人が、明るく楽しい活動の場をめざし、両手を広げとび込んで来るようにしたいものである。そのためには、教師自身も手立てや支援を終始考え、実践に努めていかなければならない。日常は余りにも多忙で難しい現状ではあるが、それらに押し流されることなく導いてやりたい。それには教師の心の余裕も欲しい。形ばかりに考えや視点を奪われず体を通した行動をもって接していきたい。このことが『後ろすがたで教え育む』ことにつながることではないだろうか。
道徳の目標の中に『人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を学校・家庭、その他社会における具体的な生活の中に生かし』と述べられているが、まさに、我々教師が傍点の個所にもっと強く関心と意欲をもち、自らの生活姿勢を確固たるものにしなくてはならないと思う。
さわやかな朝の挨拶を交わせるような学習環境づくりや心のふれあいなど、児童と教師がいっしょになすことによって理想的な人間関係に伸展させることもできそうである。
周囲の条件や環境は年々変化していく。学校という限られた場も同様である。変わり行く時代であるが、純真な子どもたちの心の教育は永遠になくしたくないものである。
(下郷町立◆原小学校教諭)
国体、その陰で
白井まや
十月十五日、日新館での朝食後、開始式が行われる河東町体育館に急いだ。歓迎アトラクションのマーチングバンドの練習を、早朝から小学生がやっていた。先生方も最後の指導に一所懸命である。いよいよ本番、リズミカルな演奏、一糸乱れぬ動き、中には楽器の方が大きいような子もいる。目頭が熱くなった。「よくぞここまで、随分と練習しただろうな。泣いた日もあったろう。先生方も御苦労だったろう」様々なことが去来し、胸を熱くした。
「随分観客が多いですね。天気もよく日曜ですからね」「我家も六人動員していますから」記録、放送席での会話である。昨日の総合開会式では夫も選手送迎の仕事があり、我家の子どもたちは従妹たちの福島行きを羨んで見ていた。今日は長男も部活動を休み、義母に義妹も加わり、六人で河東・若松と国体会場を回ると言う。私も今日から本番、県選手が出る時は正に手に汗握り、マイクを持つ手も汗ばむ程であった。「お母さん、声もう少し大きい方がいいよ」夜の電話で早速アドバイスされた。
十月十六日深夜、雨の音で目が覚めた。激しく降っている。朝までに止めばよいが。この雨を何人の人が眠られずに聞いているだろうか。あの人にこの人、次から次に関係者の顔が浮かんできた。願いが届いたのか、幸い一時間くらいで止んだ。
十月十七日「どう頑張ってる」補助員として働く生徒に時折声をかけ