教育福島0191号(1995年(H07)11月)-024page

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る。「大丈夫。先生笑顔、笑顔」「何でもやりますよ。ジャガイモ掘りでも」最初は冗談も出、皆やる気満々であった。四泊五日、日新館に泊まり込んでの仕事である。しかし朝食の量は徐々に減って来た。「修学旅行二回めですね」等と楽しみにしていた生徒たちも、七時から十八時までの長丁場に音を上げて来た。別な部署で任に就く私は食事時に健康状態を見る。少しでも多く食べさせようと「おいしそう。今日は御馳走じゃない」と気を引き立てるが、「先生、それ昨日も言いませんでしたか」となかなか乗って来ない。それでも係の先生にジュースを頂いたり、他県の選手と写真を撮ったり、楽しんでもいた。何よりも、各県代表の「射」を目の当たりにする又とない機会に、同じ弓を引く者として貴重な体験をしたはずである。

十月十八日納射も無事終り、体育館での閉会式に臨む。選手退場の後、ストームがかかる。選手を中に、役員が周囲に輪を作る。誰が名付けたか福島県弓連の歌「今日が楽しくできたのは○○さんのお陰です。○○さんありがとう。◆。」全日弓連の会長に始まり、河東町長、県弓連会長、選手たち。歌いながら、私の脳裏を様々な人が横切っていった。湯茶接待所で再会した卒業生のお母さん、国体直前に父親を亡くし、悲しみを癒す間もなく参加した役員、病魔に冒され、病室のベットで気を揉んでいただろう役員。そして留守がちな私に代わって子どもたちを見てくれていた義母、夫。皆、皆、ありがとう。

(県立大沼高等学校教諭)

 

子どもを見る目を

渋谷邦光

 

感じていた。そんな自分を励ましてくれたのが星野富弘さんの詩と絵画である。

 

教師としてスタートしてから、各種の仕事、初任者研修、学級経営、教材研究、出張等々、夢中で仕事に取り組み、一学期が終わった。それらの一つ一つに充実感を持ちながらも、 一方では毎日の仕事に埋没し、子どもたちと余裕を持った接し方が十分にできていないことにあせりも感じていた。そんな自分を励ましてくれたのが星野富弘さんの詩と絵画である。

花だって

ほめてあげたほうが

元気になるんだそうですよ

だれかがそんなことを

いったのを思い出したら

花に

絵を見られるのが

こわくなった

『かぎりなくやさしい花々』より

星野さんの詩を見て、忙しさにまぎれて見失いがちになっていた大切なものを、もう一度見つめ直すきっかけが得られたような気がする。

今年の夏、職員研修旅行で群馬県の東村にある富弘美術館を訪れ、星野さんの原画に接する機会があった。青空と緑深い詩情豊かな山々に囲まれた美術館は、自然の中にとけ込むように建っていた。一歩中に入ると、多くの絵画が、ほの暗い明かりの中で私たちを迎えてくれた。その一枚一枚の作品をじっと見つめていると、星野さんの優しく、温かい眼差し、思いやりや希望の灯が私の心に飛び込んできた。

このとき、ふと星野さんのような心で子どもたち一人一人の内面を見つめてきただろうか、子どもたちが持っているよさや可能性を伸ばそうとしていただろうかと、自分に問いかけたい思いにかられた。

私は今、三十一名の子どもたちを担任しているが、正直なところ一人一人の心をしっかりととらえているという自信はまだない。忙しい、経験が浅いからというのは、言い訳でしかないと思う。

子どもたちが帰った放課後、教室の窓から見えるコスモスの花をながめていると「花だって、ほめてあげたほうが、元気になるんだそうですよ、だれかがそんなことを…」と星野さんがやさしく語りかけているような気がした。

これからは、細やかな心で子どもたち一人一人を見る目を育てていくように努め、一瞬一瞬の表情や行動から子どもたちの心をとらえられるような教師になりたいと思っている。

(原町市立原町第二小学校教諭)

 

「アジア」と手をつなぐ

熊沢正人

 

福島市中学生海外派遣団に同行しシンガポール・マレーシアで現地中

 

福島市中学生海外派遣団に同行しシンガポール・マレーシアで現地中

 

 

 


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