教育福島0191号(1995年(H07)11月)-025page

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学生と交流した私は、一所懸命話しかけてくれる生徒や教師の会話を一割も理解できなかった。「英単語を一つ覚えることが自分の世界を一つ広げることなのだ」と痛感し、心底英語を勉強したいと思った。(三十歳を越えて情けない話ではある!)

さて、シンガポールの中学校訪問は驚きの連続であった。当地の教育事情をまとめると

1)全国的な学力テストがあり、その成績によって中学校での学習課程が三つのコースに分けられる。

2)成績優秀者のコースにしか大学進学の道は開かれておらず、早い段階で進路の方向付けがなされるので学習熱が日本よりも高い。

3)教育設備が充実しており、特に図書室は大きさ、内容とも日本を上回る規模である。さらにコンピュータを使い様々な職業の情報を引き出し職業教育に役立てている。

4)「人が資源」という考え方で、早い段階からその人間の能力を最大限に伸ばそうとしている。また国際的に通用する人間の育成を目指している。(シンガポールは日本以上に資源の乏しい国である)

5)華僑系、マレー系、インド系、ヨーロッパ系など様々な人種が混じり民族融和政策をとる。授業はすべて英語で行われ、他に自分の母国語を学習する。中学生は二ヵ国語を話す。

6)義務教育の制度はないがほとんどの生徒が学校に通う。学校長の権限は強く、時には退学処分を行うこともあるという。

当日、遅刻や忘れ物をした生徒が四時間もロビーで自習させられている姿を目にし、かなり厳しい指導が行われていることを実感した。教育政策の面でも生徒によって厳しい状況があると感じた。しかし、どの生徒も活気にあふれ、しかも学校生活にとって必要な規律が保持されていた。

シンガポール日本人学校教頭の村田氏は、シンガポールの人たちの国際性を強調された。それは1)自分の民族の言語の他に英語を話すこと。2)広い心を持つこと。3)積極的であること。の三点である。「国際人」を目指すこれからの日本人に英語力は不可欠である。また異なった人種や民族への生理的な抵抗をも克服しなければならない。私たちは、未来に向かって共に歩む仲間としてのアジアの国々と人々について一層理解を深め交流を図るべきではないだろうか。「アジアと手をつなげ」と言った高校の時の恩師の言葉が思い出された。

(福島市立福島第四中学校教諭)

 

学校カウンセリングの風景

安齋美智男

 

空間を見い出している植物群について少し調べてみたいと考えるようになった。

 

最近、自然観察会や公民館の自然教室の講師を依頼され、植物観察のお手伝いをすることがある。これらの観察会を通じて、都市環境に進出して生活空間を見い出している植物群について少し調べてみたいと考えるようになった。

夏休みになり、福島駅前を含む周辺地域のフィールド調査に入ったが、私なりに多くの新しい発見があった。

この調査では、フィールド調査の必需品である胴乱やカメラを携帯することはあきらめた。胴乱を持てば植物調査をしていることが一目瞭然となり、通行人に話しかけられ、そのたびに説明をするのも苦痛だったからだ。ショッピング中の家族や「ノンノ」もどきの若者の邪魔にならないように細心の注意をはらったつもりなのだが、不審な行動をする私を見逃してはくれない人々もいた。警察官は、やはり尋問のプロだ。あらかじめ準備しておいたマニュアルを説明するいとまを与えてくれ、それを聞くと「学生さん?研究かあ」といって立ち去った。学生のときから、フィールド調査の際には説明用のマニュアルを準備しておいたのである。ところが、マニュアルを説明するいとまも与えられず、きびしく尋問されたこともあった。私も生徒にこんな聞き方をしているときもあるのかなと反省し、調査を中断せざるを得なくなってしまった。

現在、学校ではカウンセリングに関する知識・技術がかなり浸透してきたようだが、生徒に対する「見方、話の聞き方、接し方」に十分生かされているとは言えない。不登校等の生徒を担任している教師にとってカウンセリングの知識・技術は有用である。しかし、接し方に技法的側面が目立っているときは、カウンセラー(担任)とクライエントがホームルームから孤立してしまい、うまく行かない場合が多い。むしろ、日常のホームルーム活動を通じ、特定の技法にとらわれず、クライエントを集団の中でごく自然に援助することが重要である。

 

 

 


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