教育福島0192号(1996年(H08)01月)-023page
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随想
日々の想い
ずいそう
ほんとうの空の下で
雉子波秀子
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「ふくしま国体」が開催されることが決まった頃、私はまだ高校生でした。勿論、選手として国体に出場するなど考えてもいませんでした。「ふくしま国体」が開催される頃は結婚して平凡な生活をしているのだろうなあと漠然と思っていたのでした。
ところが、今回の国体では、選手どころか栄誉ある「選手宣誓」という大役まで仰せつかったのです。
国体参加選手として桜小に赴任してからは、教師と選手の二役を兼務することになりました。それは大変な仕事でした。やらされている陸上競技と思ってしまってとても苦痛に感じたり、思うような練習ができなくていらいらしたり、何度もやめようと思いました。
今は、応援してくださった多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。県陸協の方々、監督、コーチ、家族、友人、それに数々の迷惑をかけられながらも応援してくださった桜小の先生方、皆さんが私を支えてくださったのです。
国体開催中の一週間は、地元の方々の競技場全体をゆるがす様な応援の中で大舞台に立つことができ、とても充実した生きた時間でした。
それにも増して、決勝当日は桜小学校の、いえ私のクラスの教え子たちが大挙して応援にかけつけてくれたのです。四コーナーからフィニッシュにかけての子どもたちの声援はまるで悲鳴の様に聞こえました。自分のレースでは優勝することはできませんでしたが、私にとって目標だった「表彰台」に立てたのも、二十三秒台で走るという自分の最高の目標を達成できたのも、あの声援と、教室で応援してくれた子どもたちのおかげだったのでしょう。
走り終えた時は負けた悔しさよりも一つのことを成し遂げた充実感や解放感、そして私の走る姿をしっかりと見つめてくれた子どもたちがいるという感激でいっぱいでした。
自分が教師という立場に立つようになり、精神的に強くなることができました。留守がちな教室の中で私を待っている子どもたちが、そして教師という職業が私を強く、速くしてくれたのかもしれません。
国体が終わった今、私のクラスの子どもたちと元気に走り続けようと思っています。子どもたちと一緒に……。(郡山市立桜小学校教諭)
心の糧
大竹寿子
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私の教師生活は、高校の講師時代も含めると、今年で六年目になる。自分の足跡を振り返り思うことは、様々な体験によって成長させていただいたということである。
私は、大学卒業後、高校の音楽の講師として半年間、勤務させていただいた。その学校の音楽教諭が亡くなられた直後であり、複雑な思いでスタートしたことを今でも覚えている。
しかし、赴任早々、私にはやらなければならないことがたくさんあった。悲しみの中からどうやって生徒を励まし、希望に向かって導くことができるのだろうか。一ヵ月後の全日本合唱コンクールに出場することができるのかなど、数々の不安が心をよぎった。
でも、やるしかなかった。様々な葛藤の中で、闘いの日が続いた。初め、生徒たちは私をなかなか受け入れてくれなかった。私は何度もくじけそうになったが、周りの先生方に支えられながら何とか指導し続けることができた。
次第に生徒たちも心を開き、私の
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