教育福島0192号(1996年(H08)01月)-024page

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ことを心配するようにまでなってくれた。結果的には、生徒たちのがんばりにより、合唱は全国大会に出場することができた。何よりもうれしかったのは、結果よりも生徒たちの心の温かさ、支え合うことの大切さを共感することができたことであった。

次の年、私は新採用教員として中学校に勤務することになった。高校で経験した合唱指導を直接生かすことはできなかったが、副顧問として顧問を補助する立場になった。自分が副顧問になって、高校に勤務していたころの副顧問の先生の心づかいに改めて感謝せずにはいられなかった。

次の年は指導する立場となり、心豊かな生徒たちに恵まれた。高校に入学しても合唱を続けるほど、合唱の好きな生徒たちが育っていった。

一昨年から現在の学校に勤務することになり、その年から三年間は学級担任として多くのことを学んだ。生徒から学ぶことが多く、私にとって生徒は、自分を成長させてくれるこの上ないもののように思える。

これからも、決して平らな道ばかりではないと思うが、経験する苦労を「心の糧」にできるようにしていきたい。そして、次世代を担う生徒たちに応援歌を送り続けたいと思う。 (田島町立荒海中学校教諭)

 

子どもの「一言」に勇気づけられて

横山修

 

。しかし、たまには、私がうれしくなるような一言を言ってくれることもある。

 

今年度、私は五年生四十名を担任している。とても話好きな子どもたちなので、いろいろな「一言」を子どもたちと交わす。時には、「最近の国語の授業は面白くないよな」とか、「私、算数分からないから嫌い」とか、痛烈な一言を浴びせられることもある。しかし、たまには、私がうれしくなるような一言を言ってくれることもある。

本稿では、子どもたちから言われてうれしかった「一言」を二つ紹介したい。

まず一つ目は、朝、教室に入った瞬間の一言である。昨年の十一月のことだった。風邪をこじらせてしまい、二日ばかり学校を休んでしまった。三日目は熱も下がったので、私は学校へ向かった。子どもたちは何と言うだろうか。「いつも、風邪をひくなよとか言っているのに、自分がひいて情けないぞ」と言う子がいるかもしれない。あるいは優しい子が「先生、大丈夫?」などと声をかけてくれるかもしれない。そんなことを考えながら、教室へ向かった。ドアを開け、「おはよう」と教室へ入った。さあ、子どもたちの第一声は?「やったあ、先生が来た」であった。これはうれしかった。待っていたんだなと思った。どんな言葉より、何倍もうれしかった。

二つ目は、子どもたちの家庭学習帳に書いてあった一言である。私の学級では、毎日、家庭学習帳を提出することになっている。私はそれに目を通し、赤ペンで一言添えて返している。まあ、ノートを使って会話しているようなものである。

ある日、一人の女の子が、いくつかの質問を家庭学習帳に書いてきた。「先生はなぜ教師になったのですか」というような、教師という職業にかかわる質問であった。私は誠意を持ってその質問に応えた。

それから何日か過ぎて、その子は「将来の声」という日記を書いてきた。冒頭に「私は、将来、小学校の先生になりたいと思います」とあった。そしてこの続きを読んで、胸にせまるものを感じた。

「横山先生のような先生になりたいです」と書いてあったのである。お世辞にしてもうれしかった。

私は、無力な教師であると思っている。子どもたちのこういう一言に、励まされ、勇気づけられて、教師を続けてこられたのだと思う。

子どもたちへの恩返しの意味も込め子どもたちを勇気づける「一言」が言える教師となるよう、精進していきたい。

(新地町立駒ヶ嶺小学校教諭)

 

ソフトボールと国体

柳沼善久

 

トボールに魅せられ、生徒たちにも恵まれ、六年連続インターハイ出場、全国選

 

福島53インターハイの四月、本校に男子ソフトボール愛好会発足。当時の顧問(私の高校時代の恩師)より声をかけられ、ソフトボールに足を踏み入れる。以来、ソフトボールに魅せられ、生徒たちにも恵まれ、六年連続インターハイ出場、全国選

 

 

 


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