教育福島0192号(1996年(H08)01月)-029page

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な中途半端なままとなり、試合もさんざんな結果に終わってしまった。

このくらいはできるだろうという思い込みをせず、目の前にいる選手は何ができて何ができないのかということを、私自身が正確に読みとっていたならば、もっと効果のあがる指導ができたに違いない。まさにありのままに見ることができなかったよい例である。

試合後、私はこの反省をもとに、選手一人ひとりの動きをありのままに見ようと意識した。すると、パスやドリブル、シュートといったバスケットの基本技術があまりにも未熟である選手が多いことが明らかになった。例えば、ある者は、目の前に敵がいるのにもかかわらず正面からボールをパスしようとしたり、ある者は、利き腕でしかドリブルをすることができなかったり、さらにある者は、ジャンプシュートができないと言った具合である。そこで、練習時間の多くをこれら基本技術の習得に費やすことにした。対面パスや目をつぶってドリブルをするといった簡単なものからはじめ、徐々に、ディフェンスをつけるなど複雑で実戦的な動きを多くしていった。それと同時に、選手の一つ一つの動きに対し、良いところと悪いところを指摘し、どうすればもっと良くなるのかを示していった。このことを続けていくうちに、選手自らが判断するようになり、今では、練習中に自分たちで指導し合うまでになっている。その成果があらわれたのか、本年度の大会では地区五位という好成績をあげることができた。選手全員が中学校で未経験のチームとしては大躍進である。

あるがままの姿をありのままに見る、このことばは、私にとってあらためて重みのあるものとなった。

さて、初めてのクラスを持って間もなく一年になろうとしている。もう一度まっさらな透き通った眼鏡で生徒たちを見つめていこうと思う。

(県立只見高等学校教諭)

 

初任者としてスタート

山口玲子

 

「先生でしょう?先生、何年の先生かな」

 

「先生でしょう?先生、何年の先生かな」

四月、着任した早々の朝の玄関での様子である。期待と歓迎の意味を込めてか、五、六人の女の子が、車から降りた私に、にこにこ顔でしかも恥ずかしそうに駆け寄り、声を掛けてくれた。初任地への着任と緊張感、まだ見ぬ子どもたちへの期待と不安から、こわばっていた私の表情もいっぺんにゆるみ、うれしい気持ちでいっぱいになった。「よかった。素直な子どもたちで」と思いながら、胸をなで下ろしたものである。そのときの子どもたちが、今私が担任している三年生である。

これまで、いくつかの学校に補充教員としてお世話になっていたが、年齢的な制限から、正式採用は望んでも無理なことと理解していた。しかし、数年前に制度が改められて門戸が広げられ、私にも受験資格があることを知ったのは、何よりもうれしいことであった。さらに幸運なことに、夢であった小学校教員としての新たな人生が今年度より始まったのである。

四月からスタートした初任校での勤務も、早いもので八ヵ月を過ぎようとしている。恥ずかしそうに出迎えてくれた子どもたちも、今では気心が知れてきたせいか、にぎやかで元気いっぱいの毎日である。

朝、出勤すると、寒い玄関先で白い息をはあはあとさせながら、

「先生、見て見て。二重跳びができるようになったんだよ」

「先生、私のも見て。はやぶさ跳びが、きのうよりも多くできるようになったんだから」

と、待ち構えて矢継ぎ早に自分の上達ぶりを教えてくれる。

休み時間になると、早速、

「先生!」

「先生、あのね」

と、話しかけてくれる子どもたち。うれしい限りである。明るく、屈託のない子どもたちとの一日が終わる

 

 

 


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