教育福島0193号(1996年(H08)02月)-018page

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不安が少しずつ消えていきました。

レストランでのことです。係の人が「どこからきたの」とか、「いつまで滞在するの」と、とにかく話しかけてきます。道をすれ違う人々も「ハーイ」「ハロー」と声をかけてくるのです。見ず知らずの私たちに自然に心も和んでいきます。

シカゴまで来たかいがありました。二人旅を決行してよかったと思いました。

教員になって十数年、保健室から生徒たちの姿を見ています。生徒たちは、様々な表情でドアをノックします。その時こそ私の出番です。そんな時私は、「こんにちは」という言葉で迎えます。その子供たちの表情に応じて「どうしたの」「元気ないね」私の言葉がけは多種多様に飛びかいます。しかし、今改めて振り返ってみると、どんな表情で言葉をかけ、また応えていたのでしょうか。

来室する半数以上は、二、三分話をして帰っていく生徒です。「また来るね」そんな言葉を残しながら…でも、入りたくても入れない、来たくても来られないそんな生徒たちもたくさんいるのではと思います。シカゴの二人旅で体験して感じた、あの満たされた気持ちを生かして、自分から先に「こんにちは」が言える人間でありたいと考えていた私は、それ以来、できるだけ多くの場面を見つけ、生徒たちへの言葉がけに努めています。もちろん優しさと笑顔をもって。

私から声をかけていけばきっと話しやすいのではと、そう信じて…。

(いわき市立平第二中学校養護教諭)

 

夢は?趣味は…。

藤田昌美

 

オーの馬上には浅川町出身の江田騎手。有馬記念の優勝セレモニー。…夢…か。

 

二十万人のファンに両手をあげ男は声援に応えている。反対側の手綱には桜田調教師、愛馬トリュウキングオーの馬上には浅川町出身の江田騎手。有馬記念の優勝セレモニー。…夢…か。

昨年は阪神大震災、オウム真理教のサリン事件など様々な事が起こり大変な年でした。福島県では記念すべき第五十回国民体育大会「ふくしま国体」が開催され、県民に素晴しい試合を、そして大きな感動を与え成功裏に終了することができました。

私も福島県ソフトボール協会の常任理事で八年間会計を担当し、今回の国体では競技役員として福島会場の少年女子の仕事をさせて頂きました。そして我が福島県としては、念願のソフトボール競技総合「優勝」の二文字を手中に収めることが出来ました。さて、これからですが、各スポーツの関り方について多少なりとも力の入れ具合いがどうなるか…。今回の成果を基に更に発展させていけるよう各方面で力を継続していって欲しいものと願っています。

目前にやらなければならない事があり、何らかの目標に向かっている時の人の生き様はとても活力に満ちた輝きがあります。ところがその全てが終了した瞬間、胸中には安堵感と共に虚無感がドッと押し寄せ、次への方向を定める為に自分なりの軌道修正にムチを打たなければならなくなります。このような時、私はそれぞれが持つ人間性というものがいかに大事かということを考えさせられます。「あなたの夢は何ですか」「あなたの趣味は何ですか」と聞かれ答えが何も出てこないことが何度かありました。無趣味にも困ったものです。そこで、二年前から近所の壮年ソフトボールチームに入り、昨年はリーグで三位の成績を残すことができました。このチームに参加することによって年間を通して各メンバーとの親睦を深めることもでき、趣味は?の答えに、先ずは『スポーツ、それもソフトボール』と言えるようになりました。どの様なことであれ趣味を持てば人生が豊かになることを実感した訳です。

ところで、今年の夢は…と。

1) 東大に五人合格させる。

2) 宝くじで一億三千万を当てる。

3) 車で世界一周をする。

4) スイスに別荘を建てる。

5) ホールインワンを達成する。

夢は本当にかなうものと信じつつ今年も健康に留意して、生徒の希望実現のため、教科指導・生徒指導に頑張ろう。そして夢の実現にも…。

(県立白河高等学校教諭)

 

生きることの選択

目黒慎治

 

スを聞くたびに教育に携わる者の一人として、胸が痛む。なぜ死を選んだのか。

 

また、悲しい出来事が起きた。中学生の自殺。このニュースを聞くたびに教育に携わる者の一人として、胸が痛む。なぜ死を選んだのか。

ふと、二年前に九十七歳で亡くな

 

 

 


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