教育福島0193号(1996年(H08)02月)-021page
動、その裏でくり広げられた幅広い生徒の活動は、「成すことによって学ぶ」という特別活動の特質を具現した姿だということです。
しかし、一方ではこんな不安な場面もありました。三年生のある学級は仕上がりが予想に反して遅れていたので、放課後に指揮者とパートリーダーを呼んで、私の不安な思いを伝えました。そして迎えた中間発表会。結果は惨めなものでした。しかしこの経験は彼らを変容させました。翌日からの練習は、学級全体が本番の栄光は手中にと言わんばかりの、気迫あふれるものでした。そして当日、歌い終えた生徒の顔には、精一杯自分たちで歌いあげたという満足感と成就感があふれていました。特に印象深かったのは、生徒たちが口々に「感動したな」「ステージで自分たちの響きがきこえた時ゾクゾクしたよ」「私たちの力で歌えたのよ」などと興奮しながら語っていた言葉です。この言葉には、自分たちで音楽を創りあげたという限りない喜びが感じられました。そして、生徒が求めている音楽と私が与えてきた音楽(教育)には、ある部分でズレのあったことにも気づくことができました。
生徒に指示することで、生徒の音楽を愛する心の感性と芽を摘んでいたのではないかと反省したのです。
任教師のころ、生徒の心をつかみきれずに悩みながらも、音楽に純粋で真摯に取り組む生徒の姿に共感と感動を覚えた自分を思い浮かべ、心の教育を推進していく音楽教師の一人として今後日々の実践に努力していきたいと思っています。
(福島市立吾妻中学校教諭)
言葉かけ
加藤幸二
私が初めて大規模小学校のY小学校に赴任した時、思いもよらず体育主任という大役を引き受けることになり、任務の重大さに身が引き締まる思いで仕事に取り組んだことを思い出す。若かった私は無我夢中、これまでのわずかな経験と文献からの知識を頼りに試行錯誤の連続であった。しかし、全校生千二百人からの児童を動かすことは大変なことである。運動会の全校練習、業間体育と指揮台に立つとどうしても悪いところばかりが目につくもので、マイクを通してかける言葉は、
「もっと腕を振って行進しよう」「横にしっかりそろって」と注意ばかりが多くなり、全力投入しているにも関わらず成果はあまり上がらない。そのような時、S教頭先生から、
「先生もっと誉めたほうがいいよ」と助言をいただいた。確かに子供たちを叱ったり、要求したりの言葉はかけても、誉めることがあまりなかった私は、教師としての未熟さを思い知らされた。しかし、この誉めるということが私にとってはなかなか難しいのである。それほど良くもなっていないのに無理に誉めるわけにもいかない。誉めるよりも悪いところが気になってしまう。ではどうすればよいのか。ここでまた、S教頭先生の助言、
「子供たちに目標を与えて、少しでもよくなったら誉めればいい」「なるほどそうか」と、納得し、早速実行に移す。次第に子供たちの変化が見えるようになってきて、あらためて誉めることの大切さ、言葉かけの大切さが分かったように思えた。S教頭先生の言っていることの意味が少しずつ分かるようになったようにも思えた。さらに、言葉をかけるにしても教師が感情を込めた方がよいこと、教師は誉め言葉をたくさん用意しておいて使い分けをした方がよいことなども学んだ。この経験から全体を指導する時の私の言葉に叱る言葉が少なくなり「どんな言葉をかけてやろうかな」と、楽しみにも思えるようになってきた。
このような言葉かけは、体育ばかりでなく教育活動全般に言えることでもあるが、とりわけ全体を指導するような運動会や音楽会等の行事では特に大切にしたいことである。
S教頭先生の一つの助言から実に多くのことを学ばせていただいた。自分の視野が極端に狭くなっていたことにも気づかせていただいた。S教頭先生に感謝するとともに、若い先生方にこのような助言のできる先輩でありたいと思うこの頃である。
(西郷村立小田倉小学校教頭)
共に生きる
鈴木富紀子
知的障害のある子供たちと接して四年が過ぎようとしています。
一年目は、今まで聞いたことのな