教育福島0193号(1996年(H08)02月)-022page

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い病名を調べることで終わったような気がします。先天性異常だけで、分厚い本一冊分の病名があることに、私はただ驚くばかりでした。

やっと子供たちの顔と名前が一致し、一人一人の障害の内容が把握できるようになると、子供たちへの対応にも余裕が持てるようになりました。「言葉」でのコミュニケーションはうまくとれなくても、身体全体で意思表示をする子、自分なりに意味を持たせた言葉で話をする子等。一人一人違った表現方法があり、私自身、頭を柔軟にしておかないととても子供たちについていけません。一緒にいると教えられることが多く、子供たちは私にとって先生のような存在です。

こんなに素晴らしい子供たちなのに、「障害者」というレッテルが付くと、差別や偏見を持たれ、当り前の社会生活が送れなくなります。

私自身、養護学校に勤務して初めて、自分が障害者に対して差別や偏見の目を向けていたことに気付きました。しかし、健常者の世界しか知らなければ相変わらずだったと思うのです。実際に、自分の目で見て、触れて生活する中で、「障害」は一つの個性であり、私も子供たちも同じ人間だと感じることができました。

無知、無関心をやめて、相手を知ろうと努力し、関わりを持とうと積極的に努めれば、言われのない差別や偏見は、随分と減らすことができると思います。

本校でも、一昨年から、地域との交流を深めようと、「おおすげ祭」というお祭りを開催しています。自分の住む町に養護学校があることも、そこで学ぶ子供たちのことも知らなかった人が数多く来校して交流を持つことは、短い時間でもお互いを理解し合うために有意義なことだと思います。

「障害児」と「健常児」の交流教育も盛んになってきています。交流を通して、健常児の障害者観を「かわいそうだから助けてあげる」ではなく、「一緒に支えあって頑張ろう」に変えて、二十一世紀には障害者に限らず、現在の社会で差別・偏見を受けている人達も皆、共生していける社会をつくっていきたいものです。

一九九六年の初日はとてもきれいでした。子供たちの未来が、初日のように美しく輝き、希望にあふれるよう、一教師として今後も努力していきたいと思います。

(県立富岡養護学校養護教諭)

 

「文字」について思うこと

兼松満朗

 

書写との出会いは、今から三十年前になります。当時私は小学校一年生でした。

 

私と書写との出会いは、今から三十年前になります。当時私は小学校一年生でした。

−放課後を利用しての保護者同伴の書写の習い事が学校で行われた時のことです。周りの様子をうかがい準備を始めたのですが、墨汁を用いず墨をすっているのは私だけでした。しかも、文鎮も小筆もなく、親が同席していなかったのも私だけでした。道具が完全にそろっていなくともみんなより上手に仕上げよう、負けたくないという一心で書きました。しかし、大筆の穂先をそろえて書いた名前もにじんで読めず、私の目指した作品とはかけ離れたものとなってしまったのです。

この時の悔しさがばねとなり、その後、文字に強い関心を持ち、書道を続けてきました。

現在私は、中学校国語科の教師をしていますが、日々の活動から目にとまるのは、やはり、子供たちの「文字」です。丁寧できれいな文字もみられますが、マンガ字や字形の整わない文字も目にします。これは、書写の授業での指導がまだ十分でないためと思いますが、それだけでもないように思います。子供たちの書写力や文字感覚を育てるには、子供が常に正しく整った文字を目にすることも大切ではないかと思います。そうした中で最も影響を与えるのが、毎日板書する教師の文字ではないでしょうか。子供たちは、教師の書き方とその結果の文字を見て、自然に文字感覚を身に付けているのではないかと思います。

ワープロやパソコンが普及した情報化時代にある現在、学校においても、子供たちが目にする文字の多くは活字です。こうした状況は、社会の必然的変化であり、対応していかなければなりませんが、活字全盛の今だからこそ、書かれた文字や肉筆の文字のよさも見直してみる必要があるのではないでしょうか。

「文字は人なり」とか、「書は心画なり」という言葉にもあるように、書かれた文字には、その人の人柄や心が表れているものです。豊かな心を育てる教育が叫ばれて久しいわけですが、きれいな文字、のびやかな

 

 

 


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