教育福島0195号(1996年(H08)06月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

教職一年目を振り返って

池田恵美子

 

年間、陰ながら私を応援していてくれた両親の温かな気持ちをありがたく思う。

 

四月になったばかりのある日の朝、「今日から条件付でなくなって本当の先生だね、おめでとう」と母親が電話で祝ってくれた。周囲の先生方や生徒たちに迷惑をかけまいと無我夢中で頑張ってきた私にとって、母親の一言はうれしかった。この一年間、陰ながら私を応援していてくれた両親の温かな気持ちをありがたく思う。

平成七年四月、新採用として保原町立桃陵中学校へ赴任した。保原町は、桃の産地であり、五月には少し濃いめの桃色の花が辺り一面に咲き乱れ、緑に映えて美しい。私はこの土地で、教師生活の第一歩を踏み出した。

思いがけず、 一学年の学級担任を任されることになった。とても不安ではあったが、責任ある仕事ができることはうれしかった。生徒たちと楽しい学校生活を送りたい、保護者からも信頼される教師でありたいと思い、入学式の前日遅くまで担任のあいさつや学級経営の方針を一生懸命考えた。

実際に学校生活が始まると、私は学級経営の難しさを実感した。学級は担任の色が出ると言われる。他の学級に比べ、私の学級は男女ともに元気よく、なんとなく落ち着きが足りない。授業中も話を聞かず、他の先生方から注意されることも時おりあった。そして、思うようにいかない学級経営に頭を悩ませていた。そんな私を救うてくれたのが、「学級経営の基本は生徒と教師の信頼関係を築くことであり、生徒理解はそこからはじまる」という初任者研修での教えであった。私は学級の全員に一声かけることを日課とし、生徒と一緒に過ごすことを心がけるようにした。休み時間、昼休みなど時間の空いている時はできる限り教室で過ごした。最初は遠慮がちであった生徒も徐々に近寄ってくるようになり、いろいろな話をしてくれるようになった。今改めて振り返ると、これを実践するようになってから自然と学級経営もうまく軌道に乗りはじめ、学級内にまとまりが見られるようになったように思う。

二年目の春。私も生徒とともに、めでたく二学年担任に進級することができた。また一年、この生徒たちと生活できることがうれしい。中学生の成長は心身ともに早い。生徒たちの成長に負けないように日々努力を続け、一歩一歩向上していきたい。また、この一年で学んだことを忘れることなく、いつまでも生徒とともにある教師でありたいと思う。

(保原町立桃陵中学校教諭)

 

表現豊かに

熊田賢一

 

ァードッコイショ、ドッコイショ」これは、ソーラン節のかけ声の一部である。

 

「ハァードッコイショ、ドッコイショ」これは、ソーラン節のかけ声の一部である。

子供たちは、体育での表現運動というと、あまり気乗りしないことが多かった。私自身も、体育に限らず自分の表現力の乏しさに日頃から歯がゆい思いをすることが度々あった。

そこで、六学年三学期の音楽「日本のふし」と体育「ふるさとの踊り」に目を向け、さっそく単元の指導計画を立ててみた。

音楽では、「こきりこぶし」を取り上げ、曲の歴史的背景からとらえていった。こきりこの竹も、歌詞のとおり長さ七寸五分ぐらいに切ったものを、子供たちに準備させた。

 

 

 


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