教育福島0195号(1996年(H08)06月)-026page

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オペラが好評だったことがきっかけとなって、五回目からはプラザの全面的なバックアップを受け、舞台や演出にプロの先生をお願いするまでになった。現在では中教研のメンバー全員が参加できる合唱も取り入れ、耶麻地区中教研の年間事業として根づいている。

客席で初めてオペラを聞いた生徒たちが感動して次の日に私に語ってくれた言葉は、今でも私の耳に残っている。身近にいる教師の出演するすばらしいコンサートを聴くことを毎年楽しみにしている生徒も多い。

オペラ、合唱、独唱、アンサンブルを中心的内容とするこのコンサートは、今や「ティーチャーズ・エスプレッソ・コンサート」として多くの人々に親しまれ、楽しんでいただけるものとなっている。私自身は合唱のみの参加なので、仕事の合間を縫って練習する大変さも苦にならずにここ二、三年参加を続けている。

このように、若い教師を中心に、私たちの眠ってしまいつつある力を少しでも失わないようにと開いているコンサートである。今後も、学び合う機会を大切にし、現場の教育活動にも生かすことのできる有意義なものを目指して取り組んでいきたいと考えている。

(熱塩加納村立会北中学校教諭)

 

「御殿桜」テレビ中継

大岡清一

 

花の時期には、頭上に張りだした枝が足元までたれ、薄紅色の見事な花を開く。

 

わが家の庭先には樹齢三百年を越えるしだれ桜がある。地元の人は、「御殿桜」(ごてんざくら)とよんでいる。開花の時期には、頭上に張りだした枝が足元までたれ、薄紅色の見事な花を開く。

江戸・元禄時代、ここには新発田藩の飛び地として陣屋が設けられた。領主が縁先からこの桜を愛でるため、屋敷の配置を工夫したという。代々にわたる領主遺愛のこのしだれ桜が、いつしか「御殿桜」と言われ地域の人たちに親しまれてきた。また、わが家の北東約二〇〇メートルのところには、ほぼ同じ年数を過ぎた県の天然記念物「護真寺(ごしんじ)の桜」がある。ともにしだれ桜である。

四月なかごろの花の咲くころになると、遠くは京都や東京など各地から花見や写真撮影の見物客がやってくる。週末には、大型観光バスで団体客が乗り込んでくる。「御殿桜」の土手下には、ミツバなど春の野菜をわずかながら栽培している。しかし、花見の団体客や写真の撮影者は、断りなく足を踏み入れ畑を荒らしていく。家族とお茶を飲んで談笑していると、家のなかを覗き込んだり、あいさつもせず「トイレはないのか」と不満を言い、勝手にわが家のトイレを使用していく始末である。

こうしたおり、昨年四月はじめ、あるテレビ局から生中継で「御殿桜」を放映したいとの申し出があった。わが家ではこの話に、家族の平安が乱されることをおそれ「家族会議」を開き慎重に対応することにした。だが、この企画を進めてきたディレクターが私の勤める学校の卒業生であったため、断ることもできず結局引き受ける羽目になった。私は、中継放映は、ライトアップした夜桜の景観がよいと考えていたが、説明のため私にもカメラの前に立ってほしいという。この要求も断り切れず、その後は打ち合わせのファクシミリが職場に届き、当日カメラの前に立つことになってしまった。新学期の多忙な時期、わずか数分の放映のため、私は早退まですることになった。テレビの影響は予想外に大きく、翌日からはいわきや会津方面等から多くの問い合わせがあった。近隣の市町村からは、自家用車で押しかける家族連れが車の列を作ることになった。

多数押し寄せた見物客のある年老いた夫婦が「死ぬ前に息子に連れてきてもらってよかった。あんた家(げ)の『御殿桜』見せてもらって、冥土のいいみやげになったぞい」と満足げに帰っていく後ろ姿を見ていると、無残な家庭菜園もあきらめるしかないと思ってしまうのである。今年もまたその時節がやってきた。

(県立白河女子高等学校教諭)

 

教室発「ボランティア」の第一歩

石井研也

 

時、本当に怖かったです。目が見えない人は、本当に大変だなあと思いました。

 

『目隠しをして教室を歩いた時、本当に怖かったです。目が見えない人は、本当に大変だなあと思いました。

 

 

 


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