教育福島0195号(1996年(H08)06月)-027page
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私が、今度、白い杖をついた目の不自由な人に会った時には、「私に何かできることはありませんか」と声をかけるようにしたいと思いました』
これは、道徳で「目の不自由な方へのお手伝いの方法」について授業をした時の、ある子供の感想である。
一、白い杖
私は、白い杖を子供たちに見せた。
「これは、どんな人が使う物でしょう」
「足が不自由な人が使うんじゃないですか」
子供たちは、次々に言った。
その中で、たった一人の子が、
「目が見えない人が使うんじゃないかと思います」
と発表した。
そこで、私は、この白い杖は、新殿学区に住んでいて「花じいさん」の愛称で親しまれている方から借りてきたことを紹介した。
二、私に何かできることは、ありませんか。
「目の不自由な方が、横断歩道で立ち止まっています。あなたならどうしますか」
と質問したら、ほとんどの子供が、手を引いて一緒に横断歩道を渡ると答えた。その後、ビデオで花じいさんに登場してもらい、あいさつと優しい言葉掛けが大切であることを教えてもらった。実際、目の不自由な人が立ち止まっているからといってお手伝いが必要であるとは限らない。まずは、声をかけられることが第一歩なのである。
三、体験
「目の不自由な方の道案内をする時、どんな方法でしますか」
子供たちにアイマスクをつけさせ、三通りの方法を体験させた。
「すげー、怖い」
という声の中、いろいろな方法を考えたが、杖の反対側に立ち、肩を貸してあげる方法が一番良いことに、体験を通して気付いたのである。
ボランティアは、行動を起こさなければ何も始まらない。私は、ボランティアの体験学習をすることによって子供たちが思いやりの心をもち、喜んで人に役立つことをするようになってもらいたいと思っている。
今後、子供と共にボランティアについて学び、自分ができることを考え、行動を起こしていきたい。
(岩代町立新殿小学校教諭)
子供と共に
遠藤サト子
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本村は、福島県の南端、東白川郡の北東部に位置し、地形的には阿武隈高原の頂上部にあり、起伏の多い山村です。
その村の鮫川保育所に、私が短大を卒業し、保母として勤務したのは、昭和四十八年四月です。時間の経過は早いもので二十二年も前のことになってしまいました。そこを皮切りに、村内に設立された幼稚園、保育所を異動し、三年前に二度目の鮫川幼稚園勤務となりました。そのときから、学級担任でなくなりました。我が子のように怒ったり、誉めたりしながら一日を過ごし、一緒に感動することができる学級担任が羨ましいと正直なところ感じました。
しかし、自分の学級がなくても、子供たちの集まる施設で、今も代替保育者になったり、子供たちの声や活動の世界で生活したりできることを幸せに思います。
さて、二十三年前のことを、思い起こしてみますと、四歳児二十九名を初めて担任しました。そのときの散歩での出来事を、今でも忘れることができません。暖かい日、田のあぜ道を園児と一列になって歩いていたときのことです。私の足元に一匹の蛇が出てきました。驚いた私は、とてつもない大声を発してしまいました。子供たちは、蛇よりもその声に、びっくりしたようでした。次の散歩に出掛けるときには、T君が「先生、今度蛇が出てきたら、おれがやっつけてやる」と棒をもって私の前を歩いてくれました。そのT君は、今では、一児の父親になっています。
その他にも思い出に残っている子はたくさんいます。おむつを持って泣き泣き登園していたY君も、現在は元気に通学する六年生です。泣き虫だった子も、ケンカの多かった子も、そして優しかった子たちも、今ではみんな立派な社会人です。
子供たちの成長していく姿を見ることができるのは、保育者の特権であり、いい仕事につけたと思います。
現在、就学前の幼稚園児と過ごす毎日の中で、今は何をする時かを自分で考え、行動できる子、何事にも集中できる子を育てていこうと、家庭の協力を得ながら、職員一丸となり、微力ながらも頂張っています。
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