教育福島0195号(1996年(H08)06月)-028page

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また、今後子供たちが、大人として参加していく社会で、平気でごみを捨てたり、迷惑をかけたりしない人間になってくれることを願って止みません。

子供たちの仕事は遊びです。やがて成長して、どこで生活していても思い出す鮫川幼稚園での遊びを、これからも大いにしてほしいと思います。

(鮫川村立鮫川幼稚園教諭)

 

九年目の春

岡本希江子

 

今年で九年目になる。十年一昔と言うから、これはなかなかすごい年月である。

 

今の学校に来て早いもので、産休・育休をはさんで、今年で九年目になる。十年一昔と言うから、これはなかなかすごい年月である。

春は出会いの季節である。この職場でも自己紹介をする機会は多い。

「○○ ○○です。この学校にお世話になって○年目です」

誰もがこんな出だしで紹介を始めるが、私はどうも九年目だとは言えないのである。

それは、なんとなく照れくさいからだ。九年もいるということは、学校の主のように何でも知っていなければならないということなのに、今でもわからないことがたくさんある。九年もいるということはここに来て九歳も年を重ねたということだから年齢がばれそうなことも何とも恥ずかしい。

「へえー、もう九年にもなるの?」

と驚かれるとつい、

「すみません」

などと言ってしまいそうな感じだ。

しかし、この春の卒業式はまた格別だった。初めて壇上に上がり卒業証書を渡す補助をしたのである。どの子もいつもとは違うひきしまった凛凛しい顔に思わず見とれてしまった。そして一年生の頃の子供たちの顔やら出来事が次々に頭をよぎった。一年生の時に担任をしてその子たちの成長をずっと見続け、卒業生として中学校へ送り出す。まさか、そんなことがあるとは、思いもしなかった。六年前のやんちゃな子供たちの姿を知っている先生がまだいてその子たちを送り出す。これは、あまりないことだろうと思う。そしてよいことだと思う。立派に成長した子供たちの姿を見ることができてとても幸せだなあと思った。

四月。中学生となった彼らは自転車に乗り、ゆるやかな坂を上っていく。自転車も服も大きめでなんだかあぶなっかしい。遠くからでも必死になって自転車をこいでいるのがよく分る。「あー一年生だなあ」と思う。やっぱりだ。大きく手を振り私の車のわきを彼らは元気に通り過ぎていった。

三年、四年で転任することが多い南会津の地で、じっくりと教育活動に取り組む先生がいてもいい。子供たちが成長して大人になっていく姿を見とどけることができるかもしれない。そんなことをしみじみ感じている九年目の春である。

(南郷村立南郷第二小学校教諭)

 

見るということ

田◆敬修

 

楽しさに満ちあふれており、私は、いつしか地形学に興味を持つようになった。

 

大学に入学して三週間ほど過ぎたある朝、下宿で朝食をとりながらなにげなく見ていたテレビの画面に、とても悠々としていて自然そのものを感じさせる風景が映った。私は当時、どの研究会に入ったらよいか迷っていたが即座に決めた。そして扉を叩いたのが地理学研究会だった。研究会は、高校時代には味わったことのない知る喜びと楽しさに満ちあふれており、私は、いつしか地形学に興味を持つようになった。

この地形学とは、現在の地形ができあがってきたプロセスと、今後どのように変っていこうとしているのかを調べる学問である。それを調べる手がかりは、まさに特徴的な地形にある。そして、この地形の特徴を

 

 

 


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