教育福島0196号(1996年(H08)07月)-023page
随想
日々の想い
ずいそう
校舎
柴原節子
「学校がこわされている!」
娘が車の後部座席で悲鳴に近い声を出した。見ると、娘が二月まで通っていた旧校舎が取り壊されていた。その隣に座っている息子は、
「もう少しで全部なくなっちゃうよ」
と、わりと平気な声で応えている。
娘は、今年の四月から中学生になり、小学校のそばを通るのは久しぶりであった。息子は、新しい校舎に通い、旧校舎が少しずつ取り壊されていく様子を毎日見ていた。
そんなやりとりを聞きながら、私は三十年も前のことを思い出していた。
私は当時、福島市立第四小学校に通っていた。国道十三号線のバイパスが学校の敷地を通るためと校舎の老朽化が進んだためであったと思う、校舎が新築されることになった。
新校舎は、当時としては最新のピカピカの鉄筋コンクリート建てであった。その新校舎に入り、そのころとしては珍しく各教室に設置されたテレビで東京オリンピックを見ながら、旧校舎が取り壊されていく音を聞いたように覚えている。
新校舎は、何もかも新しくて素敵なことに間違いはないのだが、旧校舎が取り壊されていくようすは、まだ小学校六年生だった私に、寂しさというより切なさを覚えさせた。「旧校舎」などという題で詩を作っては、感傷にひたっていた。
「おねえちゃん、そんなにがっかりするなよ。ぼくが、なにか記念品を見つけてくっから」
という息子の声に、
「だめ。工事現場に入ったりしたら、危ないんだから」
とあわてて口をはさみ、我に返った。
子供にとって、校舎は愛着のあるものである。子供の小学校が旧校舎から、新校舎に引っ越しをするとき、保護者として手伝いをした。荷物を全部運び、空になった旧校舎を、娘たち六年生は、いつになく真剣に掃除していた。それを見ていた人が、
「どうせ、こわすのにねえ」
と言っていたが、子供たちには、そういう問題ではないようだ。
今、娘の机の引き出しの中には小学校の担任の先生からもらったという旧校舎の鍵がこっそり入っている。
(天栄村立牧本小学校教諭)
残心
坂本勝久
「いつまで剣道しているんだ」
大学の受験勉強の気配をいっこうにみせず、剣道の練習に明け暮れている息子に、普段はあまり怒らない父親が檄を飛ばしたのです。
しかしながらこの馬鹿息子は言ってのけたのです。「俺は、勉強では日本一になれないと思う。けど、剣道だったらなれる。だから剣道の専門家になる」不退転という言葉は後で知ったが、もう後戻りできません。
大学時代は、好きで選んだ道……教員も好きな剣道ができるから、と迷いもせずに今日まで進んできてしまったようです。
それとは逆に剣道そのものは試行錯誤の連続でしたが、六段を取って