教育福島0196号(1996年(H08)07月)-025page

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つりと山菜取り

畑中良介

 

大胆なタイトルで掲載コーナーを勘違い?

 

大胆なタイトルで掲載コーナーを勘違い?

今年で教員生活も八年目に突入しました。現在は地域的にはのどかな津島の地での勤務です。確かにのどかな土地であります。生徒たちにものんびりやさんが多く、生徒のほとんどは地元の子ですが、中にははるばる電車とバスを乗り継いで山にあがってくる子もいます。

ここでひとつお断りをしなければなりませんが、我が校ではよく会話の中に″あがる・さがる″がでてきます。やはりここは山の上、人であろうと物であろうとなんの違和感もなく″あがる・さがる″が飛び交うわけです。

さて、そんな土地ではあるものの先生方とくれば″目茶″がつくほど忙しい。なにせ、常駐スタッフ九名、職員室と事務室を兼ね供えた?そんな部屋で毎日営業いたしております。言うならば自給自足といった感じ。せめて専門事務と養護教諭の先生がいてくれたなら……皮肉にもうちのかみさんは養護教諭でした。

わたしの専門は陸上競技の長距離です。中学時代の途中からいつの間にか病みつきになっておりました。高校・大学と陸上一筋、現在もエネルギーのほとんどはそちらに費やしておりますが、ここにきてあらたに燃えるものが登場したわけです。そうです。それが、タイトルのつりと山菜取りなわけです。どちらとも今ブームのアウトドアの元祖といえるもの。そして、自信をもって、長距離走との相関関係が高いといえます。時期はもうすんでしまいましたが、ジョギングがてらにタラの芽摘みを。普段何気なく走っていた練習コース、普通に走れば三十分程度ですが、八十分ぐらいかけて味わいました。つりは早朝、たまには出勤前にも。こちらはまだまだこれからというところです。自己記録の更新を目標に頑張ります。

最後に、やはり燃えるものがあるということはいいことですね。そんな子供たちが増えるように日々チャレンジしていきたいと思います。

(県立浪江高等学校津島分校教諭)

 

子供たちのために

白土勲

 

ら野球が大好きだった私は、高校時代、甲子園出場という夢を追い続けていた。

 

小さいころから野球が大好きだった私は、高校時代、甲子園出場という夢を追い続けていた。

当然のこととはいえ、甲子園を目指す野球部の練習は、凄まじいものであった。体力の限界を越え、力尽きるまで白球に食らい付いていった。

厳しい練習に耐え、新人戦では背番号「4」を手にすることができた。あの時の感激は今でも忘れることができない。しかし、最後の夏の大会ではレギュラーとして試合に出場することはできなかった。友よりも多く練習をしても、結局結果に出せなかったのである。とてもつらく苦しい思い出である。大会では伝令役としてベンチに入り、試合を見守った。そして、甲子園という夢までも消えてしまったのである。

現在、私は五年生三十六名の担任である。子供たちは「自己ベスト」を合言葉に、昨日の自分より今日の自分を少しでも高めようと努力している。明るく元気に、自分の持ち味を遺憾なく発揮している子供が多い。しかし、一人一人の子供を深く見つめると、「悩める姿」に直面することもしばしばである。

学校を休みがちな子。粘り強く計算練習に取り組んではいるものの、正確に処理できずに悩んでいる子。なかなか自分から進んで友だちに話しかけられない子。すぐに泣いてしまう子。三十六通りの違った子供たちに直面するたびに、教師としてどのような助言や支援をするべきか、私自身が悩んでしまう。

そんな時、野球に打ち込んでいた時の友や自分の姿が妙に思い出されてくる。絶体絶命のピンチに立ち、緊張感に満ちた表情でマウンドに集まる友の姿。必死に練習しても良い結果が出せなかった自分の姿。思い

 

 

 


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