教育福島0196号(1996年(H08)07月)-026page
出すたびに、壁に突き当たっている子供や悩みを抱えている子供が他人のように思えなくなる。その苦しみやつらさが、手に取るようにわかるようなときさえある。
子供たちにとっては、自己実現が図れず、自分なりにもがき苦しむことも多いのではないだろうか。そのような苦しみや悩みに対し、共感的な立場で支援できる自分でありたいと思う。そして、どの子供も自分に自信を持ち、生き生きと生活していけるようになればと思っている。正直なところ、そのための具体策については暗中模索の状態である。初任者として、これからの研修に誠意をもって取り組み、教師としての実践的な指導力をしっかり身につけていきたい。三十六名の子供たちのために。
(会津若松市立城西小学校教諭)
二十一世紀に思うこと
北村栄
二十世紀も残すところ四年となりました。これまでの歴史の流れから、世紀末になると価値観が多様化する傾向があり、音楽や美術の世界では偉大な芸術家が生まれてきました。同じ時の流れなのに世紀末とは全く不思議なものと感じます。
この一・二年、日本でもグレゴリオ聖歌の愛好家が急増したり、いろいろなジャンルの混じりあった音楽が流行したり、民族音楽が見直されるなど、確かに私たちの身の回りの音楽にも、何かに引き込まれるような流れや変化を感じます。そんな世界に生きる生徒たちは、日常生活の中で実に様々な音や音楽に囲まれ、新しい感覚に目覚め始めています。
数年前の夏、いわきの伝統芸能である「じゃんがら念仏踊り」を初めて全曲聴く機会がありました。そこで、楽譜はどうなっているのか、この場面のリズムにはどのような意味があるのか、次々と疑問が湧き、とても興味を持つことができました。また、同時に他国の民族音楽をオーバラップさせて聴いているうちに、ジャンルにかかわらず打楽器が活躍していることに気付きました。それまで打楽器の勉強をしたことがありませんでしたが、一つ一つの楽器について、調べて練習をしていくうちに文化の異なる音楽や楽器に共通点を見いだし、音楽の見方に少し変化が出てきたように思えるようになりました。このことを契機に、現在は打楽器アンサンブルの曲の作曲に取り組んでいます。そういった作品を生徒たちには、難しいと思いましたが、演奏してもらったこともあります。生徒なりに曲を解釈し、すばらしい曲に仕上げていく様子を見て、感性の豊かさに驚きを感じました。これまでに体験したことがない音楽に、生徒が自ら取り組み生徒なりに価値観を見いだし、自分たちの音や音楽で表現しようという確かな姿勢がみられたからです。
生徒たちが間もなく迎える二十一世紀は、いっそう変化の激しい時代になると考えられます。その中にあって、いろいろな音楽のよさを見いだし、美しさに感動できる心を持つことが大切なのではないでしょうか。
そのために、微力ながら生徒たちが社会の変化に主体的に対応し、自ら判断・選択し表現しようとする力を養うことを教師として援助・支援しながら、二十一世紀を美しく豊かに生きる力を持つ生徒に育てていきたいと思っている今日このごろです。
(いわき市立小名浜第一中学校教諭)
初任者研修指導教員を経験して
大和田茂
「来年は新採用が入るから、指導教員をお願いします」
という話を聞いた時の何とも言えぬ複雑な気持ちは、今だに記憶に新しい。
六年担任として卒業を控えていたころこの話を聞き、大変戸惑ったものだった。私などが指導教員として勤まるのかなど、様々な思いが頭をよぎった。