教育福島0197号(1996年(H08)09月)-024page

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をさせなかったようで、自分の思いどおりにならないと日に何度も泣いて大暴れをし、まわりを困らせてしまう。

片付けしようといわれて大暴れ。カセットを聞きたいと大暴れ。友達に注意され大暴れ。鬼ごっこの鬼になりたいと大暴れ。鬼になり、皆が逃げ出すと大暴れ。

音楽を聴いたり、歌ったりすること大好き、穴やフタが大好き、トイレで長時間遊ぶの大好き…と多少個性的に育ったK君に、教師や友達からの刺激により、多くの生活経験をさせたいと願い、家庭との協力をもとに、四苦八苦しながら子供たちと共に接し方を見いだしていく。K君の発達を見つめながら、時にはやさしく、時には厳しく接する中で、K君のみならず、教師やまわりの子供たち、そして学級全体が育っていく、心あたたまる実践であった。

○M子の感性に教わる

待望の大雨。手作りレインコートを着れた喜びから、どしゃ降りの中へ勇んで駆け出す子供たち。コートのすき間から雨がしみ込み衣服はずぶぬれ。そんなことは気にせず、水たまりの水を容器にザブザブくみ取ったり、固定遊具にかけたシートにたまった水をゴォーッと流すその感触を楽しんだりと夢中で遊ぶ。

そんな中で、「しずくだよ!」と新しい発見にまたまた遊びが広がる。しずく集めがうまく行かず、何度も試すうちに、指先をそろえて集めればいいことを発見。そのしずくをびんに集め宝物のように友達と見せ合い満足顔。

こういった子供たちの発見、感動を受け止め、大切にする教師の寛大さ、感性の豊かさの中での保育はすばらしい。このような幼稚園の生活の中で、子供たちの心はきっと豊かに育つに違いない。生き生きとした子供たちの心を、いつまでもいつまでも持ち続けてほしいと願わずにはいられない。

夏の一番暑い日であったが、心あたたまる研修会に参加してさわやかであった。

(喜多方市立第一幼稚園)

 

芭蕉にならいて

室井節子

 

道祖神の招きのままに取るもの手につかず、気がつけば機上の人となっている。

 

七月の声を聞くと漂白の思いがモリモリ湧いてきて、道祖神の招きのままに取るもの手につかず、気がつけば機上の人となっている。

一九九〇年、ユーゴスラビアはザグレブ駅前広場。ぼんやり汽車時間を待っていると、「流浪の民」といった風情のみすぼらしい身なりをした子供たちにアッという間に取り囲まれてしまった。何やらうれしそうに叫んでいる。「ジャポネスカラテ!」「ジャポネスカラテ!」〈せがまれて ノート言えない 日本人〉

「エイヤッ!」っとばかりに立ち上がり空手の型を披露した。彼らは大はしゃぎでまねをする。気がつけばあたりには大勢の見物人。やがて彼らは私に訴えかけるように身の上話を始めた。首を切るような動作をしながら「チャウシェスク、チャウシェスク」などと言っている。迫害を逃れてルーマニアから流れてきた難民らしかった。革命前夜。まさにそんな夜だった。

対照的に、悠久の時が流れているのがインドだろうか。と言うよりモヘンジョダロのころから変わっていないのではないかとさえ思われた。少年が、ミイラになりかけた赤ん坊を突き出して物乞いをする。この子の家系で四千年間繰り返されてきたことだ。人と動物と熱と匂いとが渾然一体となった凄まじい社会。だが二週間もたつころには腹が座ってきた。インド航空のチケットを予約したところが〈空港で 待っていたのは軍用機〉なんてことがあっても驚かない。

ゴビ砂漠でラクダに乗った。アラビアのロレンスみたいにかっこよく乗り回すはずだった。ところが、このラクダというもの後ろ足からいきなり立ち上がるもんだからコブを飛び越え前方へ転げ落ちそうになった。〈夢破れて 砂漠あり〉やはり乗るなら飛行機だ。北から南に進む時、世界は逆さまになる。中国は日本の右にあったんだ!雲の上はいつも青空。自分の足元に広がる雲の下では雨が降っている!夜になれば星は真横に!宇宙飛行士の毛利さんがCMで、「宇宙から自分のいない地球を見ると…」というようなことを言っていたが、飛行機からだとせいぜい「自分のいない福島県」くらいだろうか。それでも福島県がいとおしくなるには十分な距離だ。

芭蕉は草鞋を何足履きつぶしたろ

 

 

 


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