教育福島0197号(1996年(H08)09月)-025page
う。私はひと夏でスニーカー一足だ。足がつっても、豆ができても、自分の物差しで計ることのできない世界に飛び込んでいきたい思う。今年もまた〈想像の 翼広げる 旅がらす〉の季節がやってくる。
(只見町立只見中学校教諭)
キラリと本物を光らせて
菅野あゆみ
「神と芸能の島」と呼ばれるバリ島。バリヒンズーの神々への信仰心と芸能、宗教儀式が一体となり、人々の生活と解け合っている。そんな神の島で、「人生最大のイベント」と呼ばれる葬式に参列するという機会を得た。
バリでは死は再生を意味する。葬式は盛大で華やか、そして、歓喜に満ちていた。供物を頭に載せた女たち、大きな柩を担いだ男たち、延々と続く数百人の笑顔の行列。その中に私の心を魅了した「ガムラン」の一団があった。
柩に火が付けられた瞬間だった。「グワーン」「ドンドコドンドコ」「ゴーンゴーン」「シャカシャカ」いろいろな音が複雑なリズムで、しかも正確に、ものすごいスピードで加速しながら絡み合い、言い表しようのない神秘的な雰囲気を醸し出す。楽譜も指揮もない。なのに、リズムやスピードや強弱すべてが、まるでコンピュータに打ちこまれたもののように緻密に正確にコントロールされている。目の前で突然繰り広げられた「ガムラン」に、私は一瞬にして心を奪われてしまった。
本物に触れた時、誰もが大きな衝撃と感動を抱くものである。
観光客向けのショーではない「本物」の「ガムラン」の迫力と素晴らしさに私は憧憬と尊敬の念を抱かずにはいられなかった。まさに、感動と衝撃の体験であった。
二年前。文部省指定の音楽教育研究発表の年。「音楽集会」の全校合唱曲選びに悩んでいた私たちは、ある素晴らしい曲に出会った。「子供たちと、是非この曲を歌いたい」と、心から思った。そして、この曲の素晴らしさを子供たちに伝えるのに、だれからともなく「CDではなく範唱しましよう」という声があがった。
数日後、子供たちへの発表の日。一人の先生が子供たちに語りかけた。「これから歌うのは、先生たちが大好きで、みんなと一緒に歌いたいと思っている曲です」そして私たちは心の底から歌った。
本物の音楽に出会わせようとする試みであった。
ホールで歌う私たちの歌を聴いている子供たちの表情や雰囲気が確かに変わった。子供たちの心をノックすることができた瞬間であった。
その後も、音楽の素晴らしさや楽しさをどのようにして子供たちと共有していこうかと試行錯誤している毎日である。
キラリと本物を光らせ、子供たちと共に心を開き合い、感性を高め合って歩む教師になりたいと思いつつ…。
(新地町立新地小学校教諭)
涙(蓬中野球部の巻)
小野田耕喜
もう知らない、どうでもいいと思いながら、淋しそうな涙に目頭が熱くなる。もう一度やり直そう。もう一度……
何事も精一杯努力する子の涙。努力のかいもなく、最後まで出番がない。心で(頑張れよ)と励まし、祈る。もっとも切ない涙である。しかし、君らの力がチームを支えてきたのだ。自信を持て!
私は、勝負にこだわり続けてきた。勝つことにより、本当の涙が流せるように思うからである。過熱する部活動と批判の声もあるが、部活動から学ぶことの多さや大きさは、はかり知れないものがある。
県大会出場の夢が断たれた彼らを見るのが辛かった。新たな目標をと思いながら、自分自身のやるせなさをどうすることもできなかった。
翌日、担任から差し出された一冊の生活ノート。見ると「先生に優勝をプレゼントしたかった」と記されてある。一瞬にしてまわりが見えな