教育福島0197号(1996年(H08)09月)-026page

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くなった。いっしょに野球をやってきてよかった、教師になってよかったと思う涙で。

その一言で、また夢を追い続ける気持ちがよみがえってきた。新チームでの練習が始まった。このチームは、私にどんな涙を流させてくれるのだろうか。

教え子の目からあふれ出る涙に、言葉はなくともその意味することが分かる。時として、その涙にだまされることもあるが、涙する気持ちや心理状態が不思議に理解できるのである。それゆえに、何もしてやれないときの自分の無力さに腹を立てたり、かける言葉を失い、ただ茫然としている自分が情けなくなったりもする。

私は忘れない。戦い敗れて号泣する彼らを……ふびんでならなかった。彼らをこの時ほどかわいいと思ったことはない。適当な言葉もないまま、ただ彼らと同様に涙する自分に気づいた。大人や教師としての体裁など何もない。共に苦しみ、戦ってきた者だけに分かる涙である。悔しさや喜び、そして感動のドラマであるがゆえに、勝負には涙がつきものである。悲観なしの涙でいい。それはだれもが流せる涙ではなく、だれもが羨む涙なのだから……

蓬田の冬は厳しい。「先生!寒いス」凍りつくような声が耳から離れない。彼らの辛さを知りながら、ただうなずくだけの自分…許せ!しかし、彼らの熱いプレーに感動し、涙したのは私だけではあるまい。

失敗を犯し、すすり泣きながらわびる子へかける言葉は難しい。まして励ましの言葉は…と一言。それに続ける言葉もない。自分の指導力のなさに嫌気がさしてくる。

(平田村立蓬田中学校教諭)

 

先生一年生

江井桐子

 

「先生、おはようございます」

 

「先生、おはようございます」

と、子供たちの元気な声。小さいころからの夢であった小学校の教師になれた私にとって、今日は再び経験することのできない日。平成八年四月六日。初めて子供たちと出会った日である。

あれから三カ月、時の経つのは本当に早いものである。四年二組二十一名の担任となった私にとって、一日として同じ日はなく、新しい発見の連続である。

子供たちは毎日私のところに来て、飼っているハムスターのこと、一輪車で校庭一周できたことなど、うれしそうに話してくれる。また、ビーズで作ったエビを見せてくれたり、ピアノの発表会で弾く曲を聴かせてくれたりもする。

「上手だね。またがんばって」

と、笑顔でほめたり励ましたりすると、にこにこ顔になる。そして、さらに練習したり、作ったりして、また私のところに来る。子供たちはとても素直で明るく、話をするのが大好きだ。ほめられるのも大好きだ。私は、できるだけ多くの話を聞いたり、たくさんほめてあげたりしたいと思っている。

昼休みは、もっぱら外へ出て、サッカーやドッジボールをしている。ドッジボールではさすがに負けないが、サッカーでは足が動かず、ついていくのがやっとである。それでも、子供たちは毎日、

「先生、サッカーやろうよ」

「待ってるからね」

と、声を掛けてくれる。仕事を終えて外に出ると、

「先生、こっちのチームね」

と誘ってくれる。下手なのにパスまで出してくれる。子供たちと遊ぶことはとても楽しい。

小さい体で重い荷物を教室まで運んでくれた子、毎日一言日記を書いてくれる子、クラブで私とプレーするのを楽しみにしている子。学年が違う子供たちも、気軽に声を掛けてくれる。とてもうれしい。私はこの子供たちと出会って、本当に良かったと思っている。

教師の仕事には、様々なものがある。初めてのことばかりで分からないことも多く、忙しい日々を送っている。しかし、それもかわいい子供たちのためと思えば、苦にならない。−−一人一人の思いを大切にした楽しい学校−−これが、本校の目標である。一人一人に合った指導、分かりやすくて楽しい授業、何でも話し合える学級。私も子供たちと共に成長していけるように、今できることを精一杯努力していきたい。

(福島市立荒井小学校教諭)

 

 

 


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