教育福島0197号(1996年(H08)09月)-027page

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合格報告から

田中純

 

「先生、T小学校でお世話になりました、○○です。○○高校に合格しました!」

 

「先生、T小学校でお世話になりました、○○です。○○高校に合格しました!」

私が新任教員として初めて赴任し担任した、T小学校の三年生の子供たちが高校受験を終え、その合格を電話で知らせてきたのだ。

T小学校では、当時二クラス編成で、その時担任した二年生の子供たちの半数は四年間受け持ったわけである。子供の側からすると四年間同じ担任であるということは良い面ばかりではないかもしれないが、その当時はとにかく無我夢中に子供たちにぶつかっていたように思われる。

初めて送り出した卒業生。その子供たちが高校受験を終えて連絡をくれたのである。

合格の報告を真っ先にくれたのはF君であった。合格の報告と共に、F君が、

「今度Eちゃん、東京のJR職員の養成学校に行っちゃうんです。先生とみんなと集まりたいんですけれど…」という提案をしてきた。声はもうすっかり大人で、しっかりとした口調のF君。私は、懐かしさと、うれしさで会うことを約束した。T小学校四年間の子供たちのスナップ写真が一杯につまった数冊のアルバムを抱え集合の場所の店に出かけた。そこにはすでに懐かしい顔があった。そんな中に、F君とE君がいた。F君は当時友達としょっちゅうつかみあいのけんかをしてしまうような少し乱暴な面が見られた子供であった。

一方、E君は無口であり、あまり友達と一緒に遊んだりすることをせずいつも孤立しがちな子供であった。思い出話に花が咲き、楽しい時間があっという間に過ぎていった。そんな時F君が、

「俺、Eちゃんは人と話すのが苦手だからよ、心配なんだよな…」

と、ぼそっと言った。その瞬間、小学校を卒業して三年間、E君はすばらしい友達と共に過ごしてきたこと、また多くの友達と接する中でF君に豊かな人間性が育ってきたことを感じさせられた。

それぞれの人生を歩んでいく子供たち。その人生のほんのわずかなひとときをその子たちと共に過ごす教師。人と人とのつながりは、心のふれあい、心の温かさを互いに感じあうところから生まれてくるのではないだろうか。彼らとのひとときから、「教師」としてすばらしい子供たちと出会えた幸せを感じるとともに、「人」としてのこれからの自分の在り方を彼らに示唆してもらったような気がするのである。

(玉川村立玉川第一小学校教諭)

 

今、初心に返ろう

遠藤伸之

 

は遠藤伸之ですらない。ただ一人の音楽愛好者としてのみ受け容れてもらえる。

 

五月からパソコン通信を始めた。そこは年齢も性別も問われることがなく、自由に平等に、また純粋に意見が交換できる類いまれな空間であった。そこでは中学教師という社会的立場は何ら関係なく、私は遠藤伸之ですらない。ただ一人の音楽愛好者としてのみ受け容れてもらえる。

私はそこで、学校ないし教育界という狭い世界から解き放たれ、さまざまな環境に暮らす人々と視点を共有できる。

すると時折、外部から見た学校や、教育界の姿が垣間見えることがある。

だが、残念ながら、多くの場合それらは、私たちにとって心地よいものではない。教師と生徒・保護者それぞれが、互いの願いを十分理解し合えていないことに起因するものと思われるが、ふんだんに実例をあげて現在の学校教育の問題や矛盾を突いてくる。これらのメッセージを送る人々は、自分自身や我が子の学校生活のことで悩んだ経験がある方々なのであろう。

思えば私自身もそうだった。もちろん私に良き指針を与えてくださった素晴らしい先生方との出会いにより、充実した学校生活の思い出もたくさんあるが、悩み続けた嫌な思い出もある。

そんな私がなぜ教職を選んだのか。

ひとつには、「勉強を継続したかった」からである。教特法十九条の文言は、大学時代の私にとって、限りなく魅力的に響いた。しかしそれは、全く自分勝手な解釈によるものであったと、まもなく思い知らされることになる。もうひとつは、自分が生徒であったときの悩みを解決したかったからである。

教員として採用された後は悩みの

 

 

 


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