教育福島0197号(1996年(H08)09月)-029page

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が変わってきている、そんな中での新しい自然の家の進むべき方向は?

いつか成長した少年が、忙しい生活の中でふと自分に戻った時、母親になった少女が幼い子の手を引いて散歩している途中遠くに落ちる日を見た時、そんな時に、「ああ、そういえば、あそこで友達と一緒に生活したっけなあ…」そんな記憶の片すみに残る自然の家を作りたい。大多数の人は人生でたった一回だけの経験しかしないのかも知れない。しかし、そのたった一回が素晴らしい思い出としていつまでも残ってくれれば…。何人かは、今度は家族で利用してくれるかも知れない。「もう一度行ってみたい」そんな自然の家を作りたかった。

建物、設備、自然環境、コース、活動プログラム、自然の家での生活の仕方…。いろいろな施設の資料を調べたり、先進施設の国立の某自然の家の所長と話し合ったり、実に貴重な経験が多かった。そして、その裏付けをもとに、県の担当者や建設関係者との度重なる打ち合わせ、現地調査、設計変更、コース作成。幸いにもどの人たちも「今までにない新しい感覚の自然の家」を作るんだ、という意気込みで一緒に仕事に取り組んでいただけた。随分とわがままを言い、度々言い争ったNさん、仕事を進めているうちに更に変更を言い出す私に、嫌な顔ひとつせず付き合ってくださったTさん、常に連絡を取り合い、工事・準備の進捗状況を見守ってくださったUさん。そして、常に準備の仕事を進めやすいように気配りをしてくださり勇気づけていただいた教育事務所の先生方。学校現場では味わうことの出来ない充実感に溢れた一年間だった。まだまだしなければならない事を多く残してしまった一年間だった。

今年の七月二十日、慌ただしい中で「いわき海浜自然の家」はオープンした。さまざまな課題を抱えながらも、本当の自然の家を目指して。

(県いわき海浜の自然の家指導主事)

 

応援活動を指導して

佐竹建城

 

であった。高校時代に応援団に籍を置いた私にとっては歯痒い思いがしていた。

 

本校の応援委員会の活動はここ十年休眠状態であった。県大会出場選手壮行会は、出場選手が大会で活躍するのを激励、鼓舞する雰囲気にはほど遠い形式的なものであった。高校時代に応援団に籍を置いた私にとっては歯痒い思いがしていた。

教師生活二年目の今年度は、一年生の学級担任となり忙しい日々を過ごしていた。五月に生徒会顧問から応援委員会を指導して欲しいと内々の打診があった。三年生の有志数名が部活動などで頑張っている仲間を励ますために、自分たちの手で応援委員会の活動を再開して、壮行会を盛り上げたいということであった。学校ではそうした生徒の意欲を汲み取り、生徒会活動の活性化の一助にしようということになった。

応援活動の華は、選手壮行会と高校野球の応援である。特に野球の応援は、七月の炎天下で試合が二時間以上続くだけに、応援には相当な体力、気力が必要となってくる。果たしてこの生徒たちにやり遂げることができるか不安であった。

早速、五月中旬から応援の練習を開始した。応援に必要な和太鼓、応援旗などを探し出すことが練習場確保は一苦労であった。練習内容はあいさつに始まり、エール、校歌それに伴う演技が主であった。指導は技術面の練習ばかりでなく、精神面の鍛練にも気を配った。厳しい練習が続く中で、脱落者がでるのではないかと危惧されたが、その後参加する生徒が一人、又一人と増え十名を超えた。

六月の選手壮行会では、それまでの練習の成果を披露してこれまでにないすばらしい盛り上がりであった。本校生としての連帯感を強める感動的な壮行会となった。本校野球部の十年来の悲願は、高校野球夏の大会で初戦を突破することであった。今年の試合には応援委員の生徒をはじめ多数の生徒が参加し、応援委員会リードのもとに大応援を繰り広げ初戦を突破することができた。三回戦で敗退したものの、選手のはつらつとしたプレーと、応援委員の整然とした応援のもとに、生徒たちの心のこもったさわやかな応援が行われ、試合をする側と応援する側が一体となった素晴らしい時間をそれぞれの生徒が共有できた。

今回の指導を通して、生徒の意欲を汲み取り実践に導くことや、生徒間で仲間を大切にする心を育てることの重要性、また連帯意識を持たせることの必要性を痛感した。今回の応援活動は生徒にとって大きな自信となり、これからの人間形成に大きく役立つものと確信している。

(県立石川高等学校教諭)

 

 

 


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