教育福島0198号(1996年(H08)10月)-032page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

心に残る一冊の本

 

「ホントにわかること」の授業の創造のために

白河市立五箇中学校校長

東条正記

 

てこれで本当に学ぶ力が育つのだろうかと疑問と不安が心の中によぎってくる。

 

新しい学力観に立った授業の質的改善が求められている中で、各教室では様々な案が試行錯誤的に実践されていることに気付く。特に子供たちを主体的に活動させようとする試みと机間指導を通しての個別指導などがやたら目に付く。しかしそれらの参観後に感じるものはなぜか満足感ではなく、物足りなさが湧いてきてしまう。そしてこれで本当に学ぶ力が育つのだろうかと疑問と不安が心の中によぎってくる。

そんな思いの中で授業の改善策を求めていたときに出会ったのが本書である。

心理学者である著者は、今の授業の盲点を見事につき、読者に真に「考える」とはどういうことなのか、「わかる」とはどういうことなのかを示唆している。

従来の授業の中では子供たちが考えるということは、提示された課題や問題に対し、答(結果)を出そうと努めることであり、わかるということは期待通りの答が出せるということであったように思う。著者はこのことについて、従来の「伝統的学習理論は『答を出す行為』の習得に関する理論であった」と指摘している。

そこで著者の理論に対し、私なりに反論を試みながら読んでみるのだが、やはり納得させられてしまう。子供がわかるということはどういう状態にならなければならないかを具体的な事例を通し論を展開している。

本書を読むにつれ、「考える」、「わかる」ということの意味の深さを思い知らされてしまう。

私たち教員は、どんな子供もわかりたい、できるようになりたいと願っている存在であると認識すればするほど、「ホントにホントにわかる授業」の展開が余儀なくされてくる。この要請に応じていく上で、本書は授業の質問改善の大きな指針となると思う。

 

本の名称:<現代教育101選>7考えることの教育

著者名:佐伯胖

発行所:(株)国土社

発行年:平成七年七月十五日

 

古くて新しいもの

福島市立平石小学校教頭

笹川憲子

 

は、幼児教育に携わる中で度々耳にし、必要感に迫られて手にしたものである。

 

この本は、幼児教育に携わる中で度々耳にし、必要感に迫られて手にしたものである。

筆者は、幼児教育の基礎理論を集大成し、幼稚園教育要領にも少なからず影響を与えた人である。いきなり、「目的の方を主にして押しつけるか、対象を主にして目的を適応させていぐか」という文に出合い、はっとさせられる。極々当たり前のことであり、常々子供を中心に据えてと言ってるはずなのに、この衝撃はなんなのだろう。

「育ての心」の中では、子供と身近に接していた筆者だからこその言葉が随所に光っている。私たちは、「共感」という言葉をよく使う。しかし、「すてきだね。よくできたね」という教師の言葉の背中で「先生はいつも同じ言葉だ」と言った子供の言葉は耳に残る。うれしい時だけでなく、その時の心もちに共感していくことが子供にとってうれしいことだとしたら、失敗した時に、原因や理由・結果に提われずに、その時の心もちを理解してやる、そうせずにはいられなかった子供の心もちに共感していく事は、教師の大切な指導なのだろう。赤い自転車に乗りたいと友達と争い泣く子に、教師は「青い自転車でもいいでしょう。こっちの方がかっこいいよ」と説得し、事の解決を急ぎがちである。子供には赤い自転車に乗りたいと泣かねばならない心もちがある。その心もちを解ってやることで、子供は自分で納得する解決の道を見付けていくのではないだろうか。私は、指導しなければならないという気持ちを押さえ、子供の心もちを理解していたのだろうか。

「強いて指導するのでもない。激しく励ますのでもない…育つものを育てていく…」

「…一ぱいの日向になると共に、よき日影ともなりたい」そんな一節を心に刻み、ゆったりとした気持ちで育ちを見守りたいと願う反省しきりの日々である。

 

本の名称:倉橋惣三選集「育ての心」

著者名:倉橋惣

発行者:フレーベル館

発行年:初版 一九六五年七月二十日

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。