教育福島0199号(1996年(H08)11月)-007page

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郷の領土に加えられる。氏郷が豊臣権力の東北支配人として政宗を牽制する形が定着した。

 

二度にわたる大軍の出動のなかで、一時的とはいえ奥羽の諸城には豊臣方の軍兵が入れ置かれた。大名の家臣の城々は多く破却され、残された大名居城などには豊臣方の手で補強改修が加えられた。諸大名の居城は秀吉のもの、という観念がここに生れる。大名の夫人たちは京の舞楽へ、家臣たちの多くは大名城下に移された。秀吉へと集中する″近世″が東北に創出され、全日本における完結をみたのである。

農民たちは検地帳に登録され、農業に専念させられる身となる。戦のたびに山林に避難し、あるいは陣夫にされ、また身をさらわれさえした、かれらの苦難の戦国時代は終った。同時に、槍一すじで武士、城主へも、という下剋上の時代も幕をとじた。そして「奥羽仕置」が終るや否や、秀吉は待ち構えていた朝鮮侵略を開始する。

 

「奥羽仕置」のなかで伊達政宗は、上方軍の兵糧確保のために人質を取って農民から米を供出させ、一人でも多くと農民を陣夫に駆り出した。二十五歳の政宗自身も疲労の余り一時は病床にふした。政宗と共に朝鮮に出陣させられた四十八歳の最上義光は戦病死者続出のなかで、生きて最上の上を踏み水を一杯でも飲みたい、と国もとに便りした。

「奥羽仕置」による日本国内の「平和」の実現と、これに連続する海外侵略との、その双方において、東北の武士と農民たちが強いられた労苦は異常なまでに苛酷なものであったといえる。

 

【著者紹介】

福島県文化功労賞受賞者

小林清治・こばやしせいじ

〔略歴〕

一九二四年 北海道生まれ

一九四八年 東北大学法文学部国史科卒業

一九五四年 福島大学学芸学部講師

一九七一年 福島大学教育学部教授

一九八九年 福島大学を停年退官

〃   東北学院大学文学部教授

一九九六年 福島県文化功労賞受賞

〔現在〕

福島大学名誉教授

東北学院大学教授

福島県文化財保護審議会長

文学博士

〔主要著書〕

『伊達政宗』 一九五九年 吉川弘文館

『秀吉権力の形成−書札礼・禁制・城郭政策−』

一九九四年 東京大学出版会

 

文化の日に県知事から晴れの受賞

文化の日に県知事から晴れの受賞

 

 

 

 


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