教育福島0199号(1996年(H08)11月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

絵と私

村上伸栄

 

とができるが、私の小学校時代には、「絵」に出合うことはごくまれであった。

 

今は、カレンダーや雑誌などを見たり、または近くにある美術館に足を運んだりすれば、すぐに「絵」を見ることができるが、私の小学校時代には、「絵」に出合うことはごくまれであった。

私が生まれて初めて「絵に、特に「名画」と呼ばれる絵に出合い感動を覚えたのは、小学校三年生の時であった。小学校三年生といえばやんちゃ盛りな頃であり、雨の日の休み時間になるとしょっちゅうかくれんぼをしていた。そのため隠れ家としては、図工室のような特別教室はもってこいの場所であった。私は、友達に見つからないように図工室の教卓に身を隠していたが、その時にふと目に入ったのが黒板の両脇に飾ってあったミレーの「落ち穂ひろい」とコローの「風景」であった。この二つの絵には、初めてみる異国の生活の様子や本物そっくりにかきあらわされた表現力など、口に言い表せない味わい深いものがひめられていた。その後もこの二つの絵を見るためにしばしば図工室に足を運ぶようになった。その当時の絵を見る楽しさは今でも鮮やかに思い起こすことができる。

また、大学生の頃もこれと似たような感動に巡り合うことができた。「踊り子」で有名なドガの作品展が三十年ぶりに東京の美術館で開催されたときのことである。当時の私はドガの作品が好きで多くの画集を手に入れ、おおかたの作品は知っていた。その作品群の中に、画集では見ることのできない一つの小品「少女の像」が私の目にとまった。絵の大きさは、はがき四枚分の大きさしかなかったが作品から放つ力強さが私自身をとらえ、一瞬時間が停止したように感じた。いつの間にかその作品のもつ魅力に引き込まれ、絵の前で感動の時間をたっぷりと味わうことができた。この感動も忘れることができない思い出の一つである。

今も美術館はもちろんのこと、各種美術展があればすぐに足を運び、「絵を見る」機会を多くもつようにしている。このような美術鑑賞の場を通してうれしいことが二つある。

一つは、絵を見ることで自分の心がおだやかになり、情感あふれる世界に浸ることができること。二つめは、いい絵に出合えることである。いい絵に出合うと、自分が絵を見るのでなく、絵が自分をみつめているような気分を味わうことができる。このような時は絵を見ることの楽しみが倍増するのである。

これからも絵を見ることを通して自分の感受性や美的感覚を少しでも豊かにしていきたいと考えている。

(県北教育事務所指導主事)

 

題名「緑の風景」1996年村上伸栄作

題名「緑の風景」1996年村上伸栄作

 

一からのスタート

小針由美子

 

「先生、さっきの動きかっこよかったよ」

 

「先生、さっきの動きかっこよかったよ」

マーチングの練習の途中で、子供の一人が声をかけてくれました。なんとうれしい一言でしょう。やっと人に見てもらえる動きができるようになったかと思うと、何とも言えぬ満

 

 

 


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