教育福島0199号(1996年(H08)11月)-024page
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足感に心が充たされる思いがします。
私は、本校に勤務して五年目になりますが、最初の年に初めてマーチングバンドの演技を見て、
「すごい!小学生にもこれだけのことができるんだ」
と、とても驚いたのを覚えています。その後、出産のための休暇をいただき、一年後に戻った時にはさらに上達した演技を見ることになりました。そして、三度目の育児休暇を終えて職場復帰した昨年の八月に、
「今年は、どんな風に仕上がっているのだろう」
と期待しながら見た演技は、私の想像をはるかに超えたすばらしいものになっていました。
さて、そんな私も指導者の一人として、カラーガードと呼ばれる、旗を持って演技する子供たちの練習を担当することになりました。ところが、マーチングに独特の、私には意味のわからない言葉が次々に飛び出し、旗の操作も難しくて、とてもすぐに覚えられるものではありません。
「すごいなぁ」
と感心しながらも、指導者らしいことは何一つできず、空しく思う日々を送りました。
やがて三学期を迎え、四年生への引き継ぎが始まりました。マーチングの経験のない四年生と一緒なら、私にもできそうです。他の先生や五・六年生の子供たちから、初歩的な旗の操作やステップを教わっていきました。少し高度な技を覚えようとはりきってしまうと、次の日から体中が筋肉痛になってしまうこともありましたが、今までできなかった動きができるようになるというのは、大人の私にとってもうれしいものです。その後も、四月からは新しいメンバーとの練習を続けることができたおかげで、なんとか指導していけそうだという自信を持てるようになってきました。
この一年間を振り返り、できないことのみじめな思いや、できるようになった喜びなど、子供たちと共にいろいろな経験をすることができました。ややもすると指導一辺倒になりがちな私たちの仕事ですが、時には新しいことに取り組み、一からスタートしてみることも大事なことだと感じています。
(泉崎村立泉崎第一小学校教諭)
テニスに想う
佐久間光弘
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「先生、どうしたらフォアハンドが上手に打てるようになるの」
「いいか、前につっこまないように、身体を軸にして回転させるんだよ。簡単に考えることだよ。シンプル・イズ・ベストだよ」
今日も生徒たちとこんな会話を交わしながら、コートで汗を流している。
思えば私とテニスとの出合いは、遠く中学一年の時に湖る。当時の私は野球部に所属していたが、小柄なため球拾いの毎日だった。
嫌気がさしてよと見上げた時に、私の目に飛び込んできたのは、隣のコートで颯爽とボールを追っているテニス部員の姿だった。全身に電気が走ったようなショックを受けたことを今でも鮮明に覚えている。
早速、翌日、テニス部入部の手続きをして、私のテニス人生が始まった。
父から貰った五百円で、先輩から中古のラケットを譲り受けた。その時の感動は筆舌に尽くせないほど強烈だった。天にも昇る心地とはこのことだろうか。その夜、ラケットをしっかり抱きしめて寝たことはいうまでもない。
中学二年の時、先輩が第一回の県中体連大会で二位となったことが私の憧れとなり、毎日、旧真野中まで四キロメートルのかけ足をしての練習も何の苦にもならなかった。
三年の時、南相馬郡大会で三位になった。相馬郡大会当日、母から貰った小遣いで買ったアイスを食べ過ぎ腹を壊して二回戦で敗退したのも、違い目のほろ苦い想い出ではある。
大学でテニスを本格的に教わり、時間の限りボールを追い、汗に涙した日々であった。
私の家族は全員テニスを楽しんでいる。子供たちは成長してそれぞれの道を歩んでいるが、歳末には、全員が顔をそろえ「餅つき」と「テニス」で過ごす。家族の心の絆のありがたさを実感する大切な時である。
私のテニス人生は必ずしも順調な時ばかりではなかったが、テニスを通して人間的に強くなったし、不安との闘い方も教えてもらった。
また、テニスのお陰で全国に友達ができた。試合の後で杯を変わしな
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