教育福島0199号(1996年(H08)11月)-027page

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心安らぐ時

松崎勝則

 

ぎ』を休刊日により奪われてしまうから」と言うのが、投書の理由だそうです。

 

先日、ある新聞の投書欄に「新聞の一斉休刊日を廃止して欲しい」との投書が載っていました。「社会情勢や情報収集手段の一つが絶たれ、そして何よりも七十才後半の老夫婦にとっての『心の安らぎ』を休刊日により奪われてしまうから」と言うのが、投書の理由だそうです。

今から十七年前、私は育英奨学生として某新聞社の新聞配達をしながら、大学に通っていました。入学金、授業料、諸経費の一切を肩代わりしてもらう代償として、毎朝三時半に起床し、まずは配達する三百二十軒分の新聞に広告を折り込み、それから自転車のカゴと荷台に多くの新聞を積んで、約二時間かけて一軒一軒読者の元に届ける。そして、夕方三時半からは夕刊の配達、さらに月末には購読料の集金、新規購読者の歓誘などの業務に携わっていたのです。私が配属された店には他に四名の同期がおり、共に励まし合いながら、仕事と勉強の両立に努める日々でした。しかし、慢性的な睡眠不足、時間の制約により、朝刊配達後部屋に戻ると眠ってしまい、大学にもほとんど行かない堕落した日々をいつしか送っておりました。

ある日のゼミの時間、我々に教授が尋ねました。「一日のうち、最も心安らぐ時はいつか」と。友人のほとんどは、「布団に入る時、寝る時」と答えましたが、私は違っていました。「寝たらまた、三時半に起きて朝刊を配達しなければならない」そう考えた時、誰もが一番安らぎを感じるその時がまさに、当時の私にとっては苦痛の時であったと思います。そんな私の唯一の楽しみは、週一日の公休日そして、年数回の新聞休刊日だったのです。私は意志が弱く、たったの一年で奨学生を辞め、親の支援を受け、大学での勉強、研究室活動、友人たちとのコンパ、そして生計の一助としてのアルバイト等、大学二年時から本当の(?)の大学生になれた、そんな気がしました。

投書をされた方、私のような新聞配達員ばかりではありませんが、あなたの安らぎを奪う新聞休刊日に、心安らぐほんの一時を過ごしている、そんな人々も世の中にはいるのだということを知って頂ければ幸いです。

今、教職について十四年が過ぎようとしています。心安らぐ時は、生徒の笑顔に接する時、卒業式の時等の答えが望ましいのかも知れません。しかし、今の私にとって本当に心安らぐ時とは、布団に入る時、そして昼間の疲れをいやすかのように熟睡する妻や二人の子供たちの寝顔を、そっと見つめる時と言えるでしょう。

(県立磐城農業高等学校教諭)

 

今、思うこと

香川奈保

 

すずと、小鳥といそれからわたし

 

すずと、小鳥といそれからわたし

みんなちがって、みんないい。

童謡詩人の金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』の詩に出会ったのは、私が大学時代のころでした。この詩を初めて目にしたときとてもあたたかく、やさしい気持ちになり教師を目指していた私は、「みんなちがって、みんないい」という気持ちで日々子供たちと向きあえればという思いをいだいたことを今でも思い出します。

この詩を胸に私の教師生活は、海が近くの潮香ただよう豊間小学校で二十五名の子供たちに囲まれスタートしました。なにもかもが初めてのことでとまどいや不安の連続でした。一学期を振り返り、日々自分をじっくり顧みている余裕がなかったと感じました。「はたして私は二十五名の一人一人をみつめようと努力していただろうか。二十五名を一つの集団としてしかとらえていなかったのでは…」という反省も生まれました。

そして、二学期。新たな思いで子供たちとまずじっくり向き合うことにしました。すると実に様々な顔をのぞかせていることに気づきました。授業中はなかなか私の言うことに耳をかそうとしないS君も、がんばりを心からほめ、認めればやる気を示すこと。そのS君は、幼い妹を抱きかかえたり、手をひいてあげたりすることができるやさしさをかね備えていること。M君は数日欠席が続いた友人に対し、毎朝電話をかけて励ましてくれていたことをお母さんから知らされるなど。

このように教室で見せる以外の顔

 

 

 


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