教育福島0200号(1997年(H09)01月)-010page
「教育福島」
二百号の発刊に寄せて
福島県教育委員会教育長
渡邉貞雄
本誌が、昭和五十年の四・五月号の創刊以来、この一月号で二百号を数えるに至ったことを心より喜んでおります。
現在の社会は、所得水準の向上、労働時間の短縮、月二回の学校週五日制の定着などによるライフスタイルの変化に伴い、人々の価値観は多様化し、心の豊かさや個性、感性を尊重する傾向が強まっています。また、国際化や高度情報化の進展、さらに少子化などにより、特に教育に対する欲求も増大し、複雑化しております。
教育行政においては、施策を固める段階や教育行政を進めるうえで、多くの皆さんの意見や要望等を出来得る限り反映させなくては円滑な施行は望めません。そのためには、多くの皆さんに教育行政を理解していただくための判断材料となる適時適切な情報の提供が不可欠です。
昭和五十年には、教育機関や教育現場等に広報されておりました多種多様な情報提供の効率化を図り、従来刊行しておりました数冊の情報機関誌の内容を精選し、より効果的に統合したという経緯のもとで本誌創刊号が発刊されました。
発刊以後は近年の急激な社会変化にもかかわらず、教育庁各課・所・館、及び各教育事務所の広報担当者が、その年度に応じた創意工夫を取り入れた編集計画を策定し、二十余年の長きにわたり本誌が継続しておりますことは誠に意義深いものであると感じます。
さて、インターネット等、高度情報化が叫ばれている昨今ではありますが、本誌におきまして身近な教育行政の適時な広報を継続してまいりたいと思います。今後とも、本誌が教育関係者及び教育関係機関などの多くの皆さんに御愛読賜りまして、新世紀を生きる子供たちの豊かな人間形成の一助として有意義に活用されますことを祈念します。
「教育福島」つれづれ
元福島県教育委員会教育長
三本杉國雄
巷間においては十年は一昔であると言われているが、本誌が発刊されて二十年の星霜が経過したことを考えると、歳月の流れの速さが実感されてならない。そして今、間断なく二百号の発刊を迎えることを聞くに及び、創刊号に携わったことを思い起こし感無量となった。
当時、社会を賑わした学生運動も落ち着きを取り戻したが、マスコミ界には危機感を内容とした教育論議を掲載するものが多くあった。その論点を真摯に分析したことも懐かしい。週刊誌などの筆致からは真剣に教育を憂いているもの、社会の動向におもねるもの、教育ママをいらだたせたり困惑させたりするものなどを推し測ることができた。しかし、あまりにも多くの情報のために一つの課題についても紆余曲折した受け取り方があったように思い、危惧の念を拭いされなかったように思う。
教育委員会においては、基本理念を中心に据えているので、各課や所、館の刊行物における受け取り方の懸念は皆無であったが、機能的にまとめ上げた冊子があれば効率的であるとの考えのもとで本誌が企画されたことを思い出す。創刊号の編集に際して、表紙題字の揮亳は苦心の末、なんとか書き上げた。
久方振りに本誌に目を通し、表紙を含めたグラビアページの華やかさに見る印刷技術の進歩はもとより、掲載内容も創刊当時と比較すると多岐の分野にまで広がりを見せ、格段の相違を感じたが、その根底に創刊当時の編集担当者、執筆者の熱意が脈々と息づいている確かさを知ることができ嬉しく思えた。
現在、私は八十路の齢を越え悠々自適の生活の中で黙考する時、今更ながらコミュニケーションの大切さを痛感している。
人間が人生を心豊かに生き生きと暮らして行くためには、「知る」ことと・「知らせる」ことが最も大切ではないだろう。