教育福島0200号(1997年(H09)01月)-025page

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教員になって、今思うこと

菅野美佳子

 

、心から感謝している。特に次のような二つの支えがあったからと考えている。

 

私が教員として採用され、七年が過ぎようとしている。講師の時期も含めると約八年半となるが、最近になってようやく周りを見渡す余裕が出て来た。今、こうしていられるのもすべて周囲の人が支えてくれているお陰と、出会わせてくれた縁と考え、心から感謝している。特に次のような二つの支えがあったからと考えている。

第一の支えは家族である。私は大学を卒業した後、秋田の実家にもどった。その年の十一月、福島県から臨時採用の話をいただいた。秋田の教員になることを約束して福島の大学に通った私が「福島で教員になります」と言い切って福島に来てしまった。「何を言っても決心は変わらないのだろう」と見送ってくれた両親の心を考えると今でも心が痛む。だから、くじける訳にはいかない。しかし、採用前に何度もくじけそうになったこともあった。その度に、電話口で両親は、「自分で決めたのだから頑張れ」とだけ言い、決して「もどって来い」とは言わなかった。そんな両親に感謝した。その後、私は結婚して今年で五年目という小さな節目を迎える。安らげる場があるから頑張れるのだと思う。わずか三歳のわが子から教えられることも数多い。「今できなくても、そのうちにできるようになる」と、心にゆとりを持って子育てすることができるようにもなってきた。

第二の支えは、今まで出会ってきた多くの先生方の存在である。私にとって三度目に来た福島の地は不安と心細さでいっぱいであった。特に、福島駅から一人バスにゆられて相双教育事務所に行った時、途中に見える紅葉は淋しく感じるばかりであった。でも、先生方は、本当に温かく出迎えてくださった。人のやさしさが何よりの支えであった。その時が私の教員としての第一歩であったことを今も幸せに感じている。私が教員という仕事をしているのは、この出会いがあってのことと思う。

そして、第三の支えは、学級の子供たちである。まだまだ力のない私でも、子供たちにとっては先生であるという責任感に身がひきしまる。今、私は厳しくしても後からついて来る素直でたくましく、かわいい二年生二十三名と共に、日々過ごしている。

私は今のところ、幸せな人生を歩んできている。人に支えられてばかりであるが、今まで出会ってきた人たちへの感謝の意を込めて、子供たちに「人を大切にすること」を伝えていきたい。それが、私にできる一番大切な仕事であり、一番の恩返しであると思う。

(桑折町立伊達ア小学校教諭)

 

ダイフクダイスキ!

笠井淳一

 

「ダイフク、ダイスキ!」

 

「ダイフク、ダイスキ!」

職員室で日本の食べ物について話をしていたとき、ある女性の外国人英語指導助手(ALT)がはずんだ声をあげた。

英語科を担当している関係で、数多くのALTと接する機会がある。現在の勤務校では、一ヵ月交代でアメリカからのALTとニュージーランドからのALTが常駐している。生徒たちは、毎日、生きた英語に接することができ、日常生活の中で、ALTとあいさつをかわしたり、簡単な会話を楽しんでいる。英語の授業で学習したことなどを実際に使ってみようと意欲を示す生徒も多く見られるようになってきた。

また、英語教師自身の英語学習にもいろいろと役に立つことが多い。サビつく一方の自分の英語力ではあるが、ALTと毎日身近なことを話題にしながら話したり、手紙や作文など英語で書いたり文章をチェックしてもらったりすることで、サビの防止になる。

ALTが学校に常駐するということは、単に、生徒の英語学習や英語教師に役立つというだけではない。職員室内の多くの教職員に対しても様々な影響を与える。時折、日本人教職員とALTとの間に、ある種の「摩擦」も起こり、英語教師は、その調停にあたる役割も果たさなければならない。この時ほど、自分が日

 

 

 


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