教育福島0200号(1997年(H09)01月)-027page
パソコン同士でやりとりする手紙のことである。もちろん、実際に鉛筆で紙に書くのではなくて、パソコンに文章を打ち込み、それを印刷しないで電子情報のまま相手のパソコンに送信するのである。
電子メールでラブレターの交換、昔では考えられなかったことである。それだけ、パソコンが生活に浸透してきているのであろう。
昨年まで私は、パソコンや各種ソフトを販売する会社で働いていた。パソコンを取り扱う会社であるので必然的に社内のコンピューター環境は整備されていた。
まず出社すると、パソコンのスイッチを入れ、電子メールがきていないかチェックすることから一日が始まる。そこには、取引先からの苦情や夜のお誘い、会社の新情報等、毎日多くのメールが届いている。普段手紙など書かない人たちが、電子メールだと苦痛に感じないのは不思議なことである。手紙よりも気軽なのであろう。
電子メールは、手紙と違って、自分の打ったワープロの文書がボタン一つで相手に送れるので手間がかからない。また、言った言わないの曖昧さがなくなり、仕事上の記録としても活用できる。とても便利な道具である。
ふと、今の学校教育の現場に電子メールが使えないか考えてみる。先生方が子供一人一人と真剣に話し合う時間がなかなか確保できないのが現状である。しかし、電子メールがあればどうだろう。一日の仕事を終えて帰宅する前に、コーヒーでも飲みながら子供からの電子メールを読む。そこには、一日のうれしかったことや悩みの相談、授業中わからなかったことなど、等身大の子供の姿が見える。先生はそれら電子メールに応える。心の交流もできるであろう。それも「気軽に」である。電子メールは一対一のコミュニケーションを実現してくれる。
事務的な利用価値について言うと、全職員に同じ文書を一度に送ることもできるので、回覧文書や提案事項などもワープロで作成したらすぐに送れる。他校と結べば、他校の先生と情報交換ができるし、将来的には各家庭と結んで、電子メールで文書を通達することも可能であろう。
教育とパソコン−心と機械のように相反するように思えるかもしれないが、心を伝える手段としての使い方もある。いつしか、世界中の子供と電子メールで話してみたいものである。
(大信村立大信中学校教諭)
体験学習を通して思うこと
中野栄子
十月末、須賀川産業フェスティバルがあり、本校の生活科学科は″お年寄りと楽しくコミュニケーションを!″というテーマで参加した。本校で栽培したハーブを使い、コミュニヶーションのきっかけになるような小物作りコーナーとお年寄りの気持ちを知る体験コーナー、手話コーナーなどを企画した。生徒たち延べ四十四名が土・日の二日間にわたって一般の社会人(ほとんどが中年から高年齢の女性)と接した。初めはとても不安そうだったが、だんだんと慣れ、生徒たちはイキイキと小物作りを教えたり、また反対に別な作品を教えられたりしていた。老いた人と若い人との壁が消え、和やかな雰囲気に包まれた二日間だった。たくさんの方が喜んで参加してくれ、昼食をとる暇もないくらいの盛況であった。おそるおそる車椅子体験に誘っていた生徒も「なかなか乗ってくれない」とか「周りの人の眼が気になって恥ずかしい」と言っていたが、開き直ってまず自分が乗って会場を一周して来たようである。恥ずかしさも取れその後、数人のお年寄りに声をかけ、乗っていただき、段差の所などを緊張しながら押していた。
今回の体験を通して生徒たちは本当に大人になった。学校の中では得られない体験をいっぱいした。核家族やひとり暮らしの老人が増え、一人一人がバラバラになって来つつある時、人とふれあう喜び、その人の気持ちに自分の気持ちを合わせられた時の醍醐味、そして目の高さを同じにして話をしてみるときの楽しさ、そこに何とも言えない心の交流が生まれることを生徒は身を持って体験したようである。「車椅子の人や体の不自由な人を見かけたら抵抗なく手助けできる」などの感想文を読むにつけ、こうした企画に参加させ、本当によかったと感じると同時に、私自身、教室だけの授業でなく広い視点に立って教育実践していくことの大切さを痛感した。
二〇二〇年ごろには四人にひとりが高齢者(六十五歳)という時代が