教育福島0200号(1997年(H09)01月)-028page
到来する。高齢社会に突入している現在、本校でも福祉系の科目を導入し町の特別養護老人ホームを慰問し、交流を深めるなど、高齢者への理解を深めようとしている。私はこうした体験学習を通して、年齢や障害の垣根を越えた、「人と人との温かいつながりの尊さ」を知ってほしいと思う。また人生の先輩の生き方に触れることによって、「自立した逞しい生き方」が生徒の胸の中に少しでも育まれればいいなとも思う。
(県立岩瀬農業高等学校教諭)
出会いから
仲村景子
「仲村先生ですか」
と懐かしそうに声をかけてくれたのは、赤ちゃんを抱いたヤングママだった。
「先生、お久し振りです。覚えていますか。私もお母さんになりました」
赤ちゃんを愛らしく世話する姿はもう立派な母親ぶりだった。
私が教職についてまだ五年目、初めて高学年を担任し、何も分からず夢中で過ごしていたころ小学生だった彼女。友達への思いやりあふれる行動に感心させられた事が思い出された。最近、偶然にも時と場を異にして、そのころの子供たちに出会う機会があった。
飲食店で昼食をすませ、代金を支払おうとした時だった。
「仲村先生ですか。放送委員会でお世話になりました」
と声をかけてくれたのは、かわいいウエイトレスさんだった。そういえば、あの頃、新しく出来た校内テレビ放送の機器の操作に苦労しながらも朝の会や昼の番組を放映していた。楽しく活動したことだけ覚えている。
もう一つの出会いは、自転車屋さんだった。スパナ片手に、「先生ですか。ぼくの担任じゃなかったけれど、お世話になりました。ぼくは、M先生のクラスでした」
と、慣れた手つきでてきぱきと自転車を調整しながら声をかけてくれた。たくましく働く若者になっていた。
この出会ったさわやかな三人の若者たち。おそらく三人はこれまでにたくさんの人と出会ったことだろう。その中で、担任でなくても覚えていてくれたことや気軽に声をかけてくれたことがとてもうれしかった。
ある雑誌に大学一年生にこれまで心に残っている教育体験を調査したところ、校庭の草むしりをしながら、教師が語りかけた一言、廊下をすれちがいざまに投げかけた教師の一言など、教師の何気ない一言が最も多かったと書かれていて、ドキッとさせられたことがあった。自分自身の小学生時代を振り返っても授業で先生がどんな語りかけをされたのかは浮かんでこないが、放課後のちょっとした先生との会話や場面などが甦ってくる。教師の何気ない一言や教師のふるまいの重大さをこの出会いで改めて考えさせられた。
一人一人の子供との出会いを大切にし、一人一人の子供のよさや可能性をひき出す何気ない一言が言える教師になりたいものである。
今までに出会った子供たち、これから出会うであろう子供たちに何年経ってもいい思い出と共に覚えていてもらえるような教師でありたいと思う。
(郡山市立柴宮小学校教諭)
生徒たちと「二人三脚」
安藤久仁男
平成九年一月、マーチングバンドの全国大会がある。その大会に三年連続三度目の出場をする。
国体を契機に四年前、マーチング活動を始めたとき、だれがこのようなことを予想したであろうか。
活動を始めるにあたっては、本校マーチングバンドの生みの親である当時の下郷中学校長先生とともに武道館まで全国大会を視察に行った。その時、一度はこのアリーナで演奏・演技をさせてみたいと思いはしたものの、生徒たちはもちろん、活動を共にしてきた私自身も目標にはしていても「夢のようなこと」であったのを思い出す。
はじめの頃は、私を含め、生徒たちもマーチングを理解していたわけ