教育福島0200号(1997年(H09)01月)-029page

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ではなく、足の上げ方から始まり、多くの専門用語に戸惑い、試行錯誤のくり返しの日々を送った。

それが、活動二年目にして初めての全国大会。結果を知ったときの生徒たちの様子は、うれし泣きをする者、信じられず茫然とする者、跳びはねる者と、いろいろであったが、その歓喜の様子は感動的であり、それまでの苦労や疲れをいっぺんに吹き飛ばすのには十分すぎるものであった。さらに、全国大会出場ということが逆に生徒たちを素直にし、部活動に対する取り組み方だけでなく、学校生活全般においても大きく影響を与え、部活動の目標の一つである「相手の気持ちを考えた行動とを校内において、自然に実践することにつながった。また、翌年のTBCこども音楽コンクールの全国大会出場(吹奏楽として初めて)や全日本アンサンブルコンテストの東北大会出場など、生徒は毎年入れ代わるにもかかわらず、それまでにない結果を残すことができた。これもすべて一度の全国大会がもたらした大きな財産である。それだけ、全国大会という「晴舞台」は大きく、価値のあるものであった。

国体が終わって残るのは施設だけであると言われる昨今、マーチングをやめるのは簡単であったが、今までの経緯や生徒のことを考えれば、継続すべきであると判断した。それだけに、武道館では最後になってしまう、三度目の全国大会への出場が決まったとき、生徒たちの表情は、例えようのないほど輝いて見えた。

今年も、部員全員で考え、悩み、活動してきたが、二十一世紀を背負って立つ生徒たちに、このような機会を与え続けている町当局の寛大な措置を忘れずに、また、町民の皆様の声援に応えるためにも、生徒との「二人三脚」を、これからも続けていこうと思う。

(下郷町立下郷中学校教諭)

 

褒めること、叱ること

佐藤正弘

 

った「何か」を乗越えたあとの爽やかな、そして感動的な言葉ではなかったか。

 

平成八年の流行語大賞になった有森裕子さんの「自分で自分を褒めてあげたい」と言う言葉について、本人はサポートしてくれる人々への言葉だったと言っておられたが、それのみならず大会を迎えるまでの苦しみや、本人しか体験できなかった「何か」を乗越えたあとの爽やかな、そして感動的な言葉ではなかったか。

さて、自分のことを振り返ってみると、日ごろから褒められるような事をしているわけではなく、そんな人間でもないので、とても人前で言ったりはできないが、それでも自分なりにあることを成し遂げたり努力が報われた時、他人から言われなくても、ひそかに自分で自分を褒めたくなる。そんな経験は私だけではないだろうと思う。

全日本社会教育連合会が成人者を対象に発行した「あなたに贈る八十一人のことば」に漫画家の加藤芳郎さんが「自分を褒めよう」という題で、次のように書いている。

「人間はいくつになっても褒められると嬉しくなる。…昔は木登りや、子守、駆けっこ等、いろんなことで大人が子供を褒めてくれたものだが、近ごろはいわゆる勉強のできる子供しか褒められなくなった。人を褒めると損をする、けなしたり、いじめたりのほうが面白いといった世智辛い時代になってきたように思える」

かつてはどこにでも遊び場があり、子供たちが群れ、ガキ大将や子分がいて、そして近所には恐いおじさんがいたものだったが、地域の大人は子供を褒めることも忘れなかった。要するに叱ることと褒めることのバランスが地域や家庭にうまく働いて、遊びを中心とする様々な体験を通して子供が成長してきた。

また、仕事が落ちこんでいる時、「だれにだって落ちこむ時はあるさ、と慰める。落ちこみながら腐らずに一生懸命やっているじゃないか、『エライ』と自分を褒める。…」と加藤さんは言う。自分を褒めながらチャンスを呼び込む。これは決して難しいことではないと思う。

しかし、他人を褒めることに関して、私たち大人はどうも消極的である。特に、子供を褒めることが苦手で、むしろ怒ったり、けなしたりすることが多すぎないか。そして、そうすることが多くの子供を成長させる方法だと錯覚してはいないか。

家庭や学校の現場にあって、一人一人の違い(個性)を認め、すべての子供が持っている「いいところ」を褒めることを面倒がらずに、しかも叱ることとのバランスを考えながら、もっと子供の個性を伸ばすことが望まれている。

(教育庁生涯学習課社会教育主事)

 

 

 


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