教育福島0200号(1997年(H09)01月)-039page

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人間も自然の一員

福島市立福島第二小学校長

古関信男

 

が地球環境問題が深刻化する二十一世紀半ばを想定した末来図の一つだという。

 

「地球人口は百二十億人に迫り、森林が減り、土地はやせ、スラムは膨脹し、国際紛争が増え、アジアや中南米のエネルギー消費や汚染物質の放出が先進国を上回る、悲惨な未来」…ユニセフの「世界子供白書」が地球環境問題が深刻化する二十一世紀半ばを想定した末来図の一つだという。

このような世界を出現させないために、今、大切な教育は環境教育なのではないかと考えてきた。

しかし、小学生に何を期待し、何を学ばせることが真の環境教育になり得るのかが見えずに悩んでいたときに出会ったのが、この小冊子である。

著者は、三十数年前に「歴史を変えることができた数少ない本の一冊」と称された『沈黙の春』を発表し、環境汚染の恐ろしさをはじめて世界に警告した、あのレイチェル・カーソンである。

カーソンが、姪の幼い息子と共に海辺や森の中を探険し、夜空や夜の海を眺めた経験をもとに書かれた本である。

その中で、子供たちへの一番大切な贈り物は、美しいもの、未知なもの、神秘なものに目をみはる感性〈センス・オブ・ワンダー〉であると言い、その感性を育むために子供と一緒に、感覚のすべてをかたむけて自然にふれあうことが大切であると訴えている。

レイチェルの主張を借りれば、教師が子供にしてやるべきことは、「様々な事実に、豊かに出会うことができる環境を整え、知恵を培う肥沃な土壌となる感性を育むことを手助けすること」であると言えそうである。

環境教育は、「人間も自然の一員」であることを、感性をとおして身に付けることであると信じる私に、この〈センス・オブ・ワンダー〉を養うことが教育の神髄であることをレイチェルは教えてくれた。

本の名称:The Sense of Wonder

センス・オブ・ワンダー

著者名:レイチェル・カーソン

発行所:佑学社

発行年:第一刷 一九九一年六月三十日

本コード:ISBN四-八四一六-〇七〇〇-五

 

死と生と

−芳賀満理雄君へ捧ぐ−

教育庁生涯学習課社会教育主事

原田啓一

 

ていった。駅には輸送担当の下士官がいて、我々が乗る列車を指定してくれた。

 

「営門を出ると、もう勝手に歩いていい筈だったが、我々は習慣になっていたのだろう、ほぼ隊伍を組んで駅まで歩いていった。駅には輸送担当の下士官がいて、我々が乗る列車を指定してくれた。

無蓋車であった。我々はそれに乗りこみ、こぼれ落ちないように床にあぐらをかいた。私は中央部に仰向けに横になった。皆左右が見渡せる縁に座ったから、中央部はあいていたのである。

私の目の前には青空があった。その中央を私の頭から足に向けて、機関車の吐く黒い煙の帯が流れていた。空は底抜けに青く、秋が近いことを示していた。」

例えば、このような部分を読む時、心が痺れます。名文です。三浦朱門氏。人間は死についての想念を語る時にも詩人であり得、花を見ても俗物であると思います。

引用したのは、死と隣合わせにいた著者が、敗戦により「いのちの世界」へ復帰するくだりです。

◆外の言う通り「死は人生の一大事」です。元来が病弱のせいか、掲載されている菊村氏のように、子供の頃から死ということを強く意識して、今も続いています。損な性分です。

この文庫本には、四十二人の死についての想念と覚悟が収められています。学者あり、経済人あり、評論家あり、芸術家あり、と、多彩です。めいめいに自らの死と真っ向に対し、そこから日々の己れの生を見つめています。彼らは皆高齢。ちゃらんぽらんの私には、どなたの頁を開いても、個性の魅力と暖かな人生観が伝わってきます。

医学的な死。これだけでは納得しません。兼好が言うように、死は後から襲ってくるのでしょう。にもかかわらず、自分は死の意味を考え続けます。今後も、幾度も読み返すでしょう。よい本に巡りあえました。心豊かになります。寝しなに読みます。

本の名称:生きるための死に方

著者名:故石垣綾子など42名

発行所:新潮社

発行年:平成四年

本コード:し-31-2

 

 

 


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