教育福島0201号(1997年(H09)02月)-017page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

鮒釣楽

遠宮新治

 

良く釣れ、九十五匹の成果。全て十五センチくらいの小物ばかりではあったが。

 

平成七年五月。ひさしぶりの釣。猪苗代湖に注ぐ川に糸を垂らした。川は生活排水で汚染されていたが、真鮒(まぶな)の産卵期の入れ食い状態で、面白いように良く釣れ、九十五匹の成果。全て十五センチくらいの小物ばかりではあったが。

私にとって、この真鮒釣では、掛かった瞬間の快い手応を十分楽しめた。磐梯山と猪苗代湖にやさしく抱かれ、自然と一体になり、無心になれる楽しみも味わえた。

平成八年十月。平鮒(へらぶな)釣の幸運に恵まれた。真鮒釣の道具で、ボウズを続けているうちに、餌の食い付きが真に良いので「真鮒」と書かれること、平鮒は、始め練餌をツンツンと突き、次に口の中に吸ったり出したりし、練柄が小さくなったとき回の中に吸い込み、最後に針の硬さを感じた瞬間吐き出してしまうことなどが分かってきた。道具を全て平鮒用に変え、平鮒の食性に相応した合わせのタイミングに変えたら良く釣れ、三十センチ級の大物平鮒も容易に掛かり、大きな手応も味わえた。

私にとって、この平鮒釣では、釣道具・合わせのタイミング、水の濁具含、気温、水温、水中の酸素量、水生植物、天気、風向等の「総合」の仕方を変えていくプロセスを楽しむことができた。

平成九年正月。六年生の息子が海釣のゲームをするのを見た。竿とリールとテレビがセットされ、「ヒイテルヨ」の音声に合わせ、釣竿を上げると、「ヒット」の字幕。リールを巻くと手応の感覚を楽しめ、メバル等が釣れるまでが映し出された。

海釣のゲームは、文字・音声・画像・動画等のメディアを『総合』し、対話性も持ってるマルチメディアで、感性的な釣の楽しみにまで近付こうとしているのに驚いた。地球サミットで採択された「アジェンダ二十一」に、地球環境のこれからの課題解決の鍵は、『総合』と述べられていることに、我が意を得た感がした。

私は、今、小学二年のときに三十センチの大物真鮒が掛かったときの手応が忘れられなく、拘り続けている。大物真鮒になるには自然が十年も育み、手応が大きいということで人間に釣用に養殖される平鮒の二倍もの年月を要し、めったに掛からない。非常に難しいゆえ、拘っている。難を求める楽しみにさえなっている。それはまた、猪苗代湖を複雑極まりない総合化によって、清冽にすることを願い求める拘りでもある。

「釣は、鮒釣に初まり鮒釣に終わる」私は、これからも、鮒釣を楽(たの)しみ続けたい。総合化を楽(ぎょう)し(願い求める意)続けるために…。

(郡山少年自然の家主任指導主事)

 

ソシオドラマと出会って

山口浩

 

るそうです。それに気づいたのは、ソシオドラマの研究会に参加した時でした。

 

人は誰しも心の中に自分だけの鏡を持っているそうです。それに気づいたのは、ソシオドラマの研究会に参加した時でした。

社会科の教員として行き詰まりを感じていた時に、この研究会の「何か楽しくて、しかも授業に役立ち人間について洞察力がつくとともに自分自身にも出会えるような試み」というキャッチコピーに強く引きつけられ出席しました。

ソシオドラマは、日常生活の諸問題を解決するきっかけをつかむために行われます。その手順はウォーミングアップから入り、参加者のやる気や自発性を引き出すとともに、あ

 

 

 


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