教育福島0201号(1997年(H09)02月)-018page
たたかな人間関係を作り、さらにそれを拡げてドラマ化していきます。ドラマ中のロールプレイングがそのまま課題解決を示唆し、ドラマが終わった後で参加者一同で感じたことを話し合って理解を深めていきます。
「六千人の命のピザ」というドラマを演じた時のことです。これは第二次世界大戦中に外交官の杉原千畝が、ユダヤ人救出のためにピザを発給し、約六千人の命を救ったという実話をドラマ化したものです。
初めは、単に役割を演じていただけでしたが、しだいに自発的に演技し、さらに自分なりに考えて役割を演じていることに気づきました。ドラマの大筋は決まっていても、その中で自分自身の課題が生まれて、それを解決しようとしていたのです。杉原の極限状況の中での葛藤が痛いほど感じられ、信念を貫き通すことの難しさについて大変考えさせられました。
「鏡を見る」ということは、相手が見るであろう自分を、相手に先がけて確かめる手段であるといわれています。私はソシオドラマによって自分の心の鏡が発見でき、それが少しずつ鮮明になり、自分自身と素直に向き合えるようになってきました。
これを三年生の社会科の授業に取り入れ、「経済のしくみと働き」の「悪徳商法」の学習で実践してみました。疑似体験でイメージ化を助け、賢い消費者になるための判断や行動の仕方を考えさせてみました。
生徒は自分なりにその役割になり切ろうと工夫し、考えていく結果、自分だったらどうすればいいのかなど、従来の指導よりも課題について主体的に考えるようになってきています。
まだまだ未熟ではありますが、教師としての成長のためにも、また子供に自分の心の鏡を見つけさせるためにも、これからも多くの場面で活用していきたいと考えています。
(三島町立三島中学校教諭)
移り住んで十年目
澤野靖子
とある日曜日の早朝、自転車のブレーキの音。朝の散歩についてきた子供の自転車の音だろうと思いつつ朝食の準備を進めていると、また、
「キー。キー。キー。キー」
甲高い音。気になって外に出てみた。しかし、川べりの道はひっそりと静まり誰の姿も見えない。その時、
「バシャッ」
水しぶきがあがると同時に、一羽の鳥の姿。一瞬目を疑った。背中がコバルトブルー。腹がベルベットの布のような茶色。足は朱色。くちばしがとても長い。心臓が高なる。初めて目にするカワセミだった。
いわきの最北端久之浜の地に居を構え、今年で十年目を迎える。夫の「自然がいっぱいで、海の見える静かな所で暮さないか」の話に、子供たちは市街地からの転居に不満をもらし、私もこれまでの便利な居住地にどっぷりつかっていたこともあって、心から賛成はしなかった。そうは言っても、いつまでも借家住まいとはいかず、これを機に海の見える家も悪くはないと考え、重い腰をあげての十年目。
「すずめって、どうして両足をいっしょにチョンチョンと歩くんだろう。セキレイのように、右、左と足を交互に出せばいいのに」と息子。なるほど、よく見ると、すずめは体をそらしバネのように両足を使って前進する。そのすずめたちは、我が家の庭で、えさの奪い合いや砂遊び、玄関わきの鉢で水をのみ、せいせいと遊んでは、どこかへ飛んでいく。そんなすずめに親しみを覚えたのか、ある時息子が、松の丸太でえさ台を作ってやった。えさは残りご飯を水洗いしたもの。今では丸太に大きな空洞ができ、時には見知らぬ大きな鳥がその穴から出てくることもある。
春の初めのたどたどしいウグイスの声。初夏のカルガモの親子。秋に姿を見せるヤマガラやメジロ。さながらバードウオッチングである。
学校週五日制の月二回の実施に伴い、連休を家で過ごす時も多くなった。今まで仕事に追われ、気づくこともなかった自然の姿。その姿を垣間見ることのできる余裕が出てきたように思う。市街地に住んでいた頃には味わうことのできないことでもあった。
カワセミはきょうもやってきた。川べりの葉の落ちた桜の細い枝にコバルトブルーの背中を私に見せ、川にジャンプすること二回。そして、何もなかったように消えていった。
(いわき市立平第一小学校教諭)