教育福島0202号(1997年(H09)04月)-023page
随想
日々の想い
ずいそう
さあ、担任
規則について思うこと
鈴木佳子
教師二年目の今年、初めて担任を持つことになった。とても楽しみである反面、やはり不安もある。特に生徒指導に関しては今からもうすでに問題が見え隠れする。どうして茶髪やピアス、ルーズソックスがいけないの?と生徒の声が聞えてきそうである。
思い出すことがある。教職に就く前、英会話学校に勤務していた頃のことである。諸々の仕事の中で、とりわけ四人の外国人教師とのコミュニケーションには大変気を使った。考え方の違いから、時にはけんかもした。その中で私は、自分が今までいかに盲目的に規則に従ってきたかということを思い知らされた。
ある日一人の外国人教師が聞いてきた。「自分のレッスンは一時からなのに、なぜ十二時に出社しなくてはならないんだ」「だって規則だから」と言いかけて口をつぐんだ。そんな答えで引き下がらないことは明らかだったからだ。そしてすぐに自分自身でも「そう言われてみればなぜなんだろう」と思った。説得したくても、自分の英語力という問題以前に何でかわからなくて何も言えなくなってしまった。「なぜ私は今まで規則を守ることに対して疑問を抱かなかったのだろう」とても根本的な疑問に当惑し、納得いく答えを探そうと夜も眠れなかった。
次の日、私よりも先に彼の方から声をかけてきた。「ヨシコきのうは悪かった」規則は曲げられないことは承知でも、少しでも働きやすくするために常に批判的な目も持ち合わせている彼らに、少なからず学ぶ所があると思った。ともすると、あなたが選んで入った会社なのだから、そこの規則に従うのは当たり前でしょう、などと言いたくなってしまう。私たち教師は、高校生に向かって同じ事を言ってはいないだろうか。
私は大学での四年間をバレー部の合宿所で過ごした。門限は九時。化粧も、派手な服装もしなかった。だれが決めた規則でもない。大学生にとっては早すぎる門限も、毎朝四時半に起きて朝練に出かけるには九時には帰っていないと体がきつかったからだ。年頃の女の子のノーメークにしても、遠征費などに多額のお金がかかるので、親の仕送りを化粧品などに当てるのには気が咎めたからである。そんな風にして自然と自分の仲間たちの中にいろいろなルールができていった。本来規則とはそういうものではないだろうか。
力で押さえつけるのではなく、常に生徒の目線で向き合い、共に規則について考えていけるような生徒指導ができるよう頑張っていきたい。
(県立若松女子高等学校教諭)
ベルギー空港にて
渡辺亮恵
十数年前、ヨーロッパに旅行に出かけたときの話である。季節は日本では夏、フランスやドイツでは初秋の色合いを漂わせていた。
できる限り格安のチケットにしようとサベナベルギー航空とルフトハンザ航空を利用し、第一の目的地であるドイツのフランクフルトへ旅立った。海外旅行は二度目であるが、一人旅は初めて。喜びにあふれる気持ちとは異なり、いざ飛行機に乗り込むと、周りはほぼ外国の人々。日本の文化や習慣も十分でない私にとって、断片的な知識で他の国の人々とどのように接したらよいかといささか戸惑いながら機上の人となった。
先ず、ベルギー空港で次の飛行機に乗り換えようとしていたとき、飛