教育福島0202号(1997年(H09)04月)-024page

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行機の故障ということで搭乗できなかったのである。そこでは、他に相談する人もなく、空港内のアナウンスを聞き取ろうと必死であったが、ベルギー人の英語が流暢であったのか、私の英語力が足りなかったのか、ほとんど聞き取ることができなかった。その後も、インフォメーションセンターに赴き、次のフライト情報を聞き出そうと試みたが、そのかいもなく結果的にはわからずじまい。そんな私の状況を見ていた外国の方が流暢な日本語で「どうしたの?」と尋ねてきてくれた。この時の一言の嬉しさは今もって忘れられない。国境の壁を飛び越えたその人のやさしさや、躊躇なく自然に他の国の人と接することのできる開放性と寛容さを感じたことを憶えている。

今「国際社会の中での日本人のあり方」が叫ばれる中、教育現場では情報が溢れ、生徒同士の人間関係はますます多様化しながら難しくなることが予想される。社会の流れの中で誤った個人主義が先行し、個々がよければという考えが横行しがちである。学校においても人間同士の交流の多様さを受けとめるだけの寛容さが要求されてくる。

人との出会いは子供たちにとって大きな影響力をもたらす。二十一世紀を担う子供たちの未来での動向は計り知れないものがある。だからこそ、人としてどのように言動がより適切であるかを子供たちに学んでもらいたい。そして、教師自身も学んでいかなければいけないのではないかと思っている。

今後は、国際社会の一員であることを認識し、自分を大事にすると同時に相手をも大事にする個人主義の尊重が課題になるであろう。

要するに競争の世界より、個人・平等・連帯を重視する教育が望まれるのではないだろうか。

(飯館村立飯館中学校教諭)

 

ラグビーと子供

紺野宗作

 

きました。自分は、ラグビーに育てられてきたといっても過言ではありません。

 

ラグビーの魅力に取りつかれ数十年。今の自分はラグビーあっての自分だし、ラグビーぬきの自分は考えられません。ラグビーを通じて素晴らしい仲間たちと出会い、学び、そして様々な体験をすることができました。自分は、ラグビーに育てられてきたといっても過言ではありません。

ラグビーに対するそんな思いが、「少しでも多くの少年たちにラグビーの素晴らしさを伝えていきたい」という願いとなり、志を同じにする数人の仲間が集まり、七年前、ラグビースクールを開設しました。

集まってくる子供たちは、幼稚園から中学生まで、入校の動機は実に様々です。特に、今学校で問題となっているいじめや不登校の問題を抱えた子の場合も少なくありません。いつのまにか、学校外の教育機関としての様相も呈しており、ますます社会的役割の重要性を認識しています。

このような実情から、綿密な配慮も必要となってきます。何といっても週に一回きりの活動ですから、たった一回の活動でもう二度とラグビーはやりたくないと思われないように、子供の興味や関心を生かしたプログラミングの工夫が必要です。さらに、集団になじめないような子には、個に応じた指導ができるような体制作りを行い、ラグビーの楽しさが前面にでるまで根気強く指導しようとコーチ同士で話し合っています。

今まで、子供たちを指導してきて感じることが二つあります。その一つは、「豊かな体験の重要性」です。子供たちは、スクールの活動を通じ、ボランティア活動、ホームスティ、親子ふれあい活動、交流活動等の多様な経験をします。一人一人の成長には、様々な活動が重要な役割を果していると強く感じます。二つめは、「子供の成長を根気強く見守ることの重要性」です。スクールでは学校とは違い、数年間という長い期間、子供を見守ることができます。一年でぐっとたくましくなる子もいるし、五年目ぐらいに見違えるようになる子もいます。あきらめず根気強く指導していると、時期は違っても必ず子供は変わってくるものだと実感しています。

これからも、「ワンフォアオール、オールフォアワン」というラグビーの基本精神を大切にし、たくましくも優しいラガーマンを育てていきたいと思っています。

(福島市立水原小学校教諭)

 

 

 


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