教育福島0202号(1997年(H09)04月)-025page
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生徒の心に残るものを
菅野智樹
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公式試合に出場しても大差で負けてばかり、でも、野球が大好きという十五名の生徒と出会うことができたのは、私が勿来三中に赴任した平成七年の春のことでした。
小学校時代お遊び程度にボールを握ったくらいで、学生時代には畑違いの部活動しか経験もない私にとって、野球部の顧問となることは、正直戸惑いを覚えるものでした。
実際に生徒の練習風景を見学してみると、気持ちばかりが先にたって、投げてはボールが相手に届かない、打ってもボテボテの打球ばかり。それでも必死にボールを追う生徒たちの姿からは「何としても強くなりたい」という願いがひしひしと伝わってきました。と同時に「この子供たちと一緒に、何とかしてよい思い出を作りたい」そんな、使命感にも似た気持ちになってきたのです。
それからというもの、毎日、生徒たちと一緒に汗を流し、努力を続けました。生徒たちも、めきめき力がついてきました。練習試合で遠征することも度々でした。
不思議なもので、生徒たちの技術が向上するにつれて、私自身のノックの技術も上がっていました。
生徒たちも、新人戦の頃から何とか勝てるようになり、念願の市大会出場を果すこともできました。
そして、平成八年度春季いわき市中学校野球大会では、悲願の初優勝を果し、ついに、いわき市の頂点に立つことができたのです。市中体連総合大会では、準決勝まで勝ち進み、県大会出場を懸けての緊迫した試合を経験することもできました。
平成八年度卒業式のことでした。このようにして、共に汗を流した生徒たちが、式の後「二年間のご指導ありがとうございました。よい思い出を築いていただいたことはずっと忘れません」と、涙を浮かべて言ってくれた姿から、私自身も教師として大きなものを学ぶことが出来たように感じました。
この二年間の部活動指導を振り返ると、無我夢中の一語に尽きるように思います。「何か子供の心に残せたら」という思いがどんな時も力となりました。この気持ちは、学級経営でも教科経営でも同じだと思います。大切なのは子供の可能性を信じ教師が生徒と共に努力することなのではないか、そんなことが漠然と分ってきたような気がします。
まだまだ教師として未熟な私ですが、この経験は大変貴重なものになりました。この経験を学級経営や教科経営に生かし、もっと努力していきたいと思います。
(いわき市立勿来第二中学校教諭)
玲瓏・八海山
高橋正人
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先日、故郷の友人から雪に覆われた八海山を背景とした母校の創立記念のテレホンカードが送られてきた。
木造校舎から新しい校舎へと変わり、昔日の面影はなくなっていた。しかし、校門の桜の本と雄大な八海山の山容は今も変わってはいなかった。
送られてきたテレホンカードには、城内中学校の校歌が刷り込まれている。
八海の裾野ゆたかに
風和み美し田園
すこやかに萌える若芽の
われらは学ぶひたに真直に
光満つ明日をめざして
二十数年ぶりに歌詞を口ずさむ。二回、三回と声を出して歌っていると、全身になんともいえない安らぎと新たな目標に向かっていく意欲がわきあがってくるのが感じられた。それは単なる懐かしさからくるのではなく、自分のなかに息づいている八海山や魚野川という魚沼の地そのもののもつ自然の息吹からくるのかもしれない。時と場所を隔ててなお、校歌は自分のなかでしっかりと、そして深く生き続けていた。
卓球部の練習が終ったあと、暗くなるのもかまわず友人と時を忘れて語り合った河原。深い雪のなかで友人とクラス対抗の雪像づくりに励んで汗だくになって交わした笑顔。一七七五メートルの八海山の頂上に担任の先生とともに初めて立ったときの恐怖と感激。定期考査のとき、教
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