教育福島0202号(1997年(H09)04月)-026page
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室の窓から校庭のポプラの枝が風に揺れるのをじっと見つめていた友人。吹奏楽部の練習するフルートの音色。そうした数多くの思い出が校歌の一節を通して鮮明によみがえる。
だれにも忘れられない歌がある。心の底に流れる曲があり、旋律がある。歌謡曲と異なり、それぞれの学校の校歌には、山や川や海などの自然の恵みを素直に感謝する心とともに、その地の人々が子に寄せる成長への祈りが込められているのではないかと思う。巡りくる季節のなかで、健やかに成長する子の姿を心待ちにする多くの人々の思い。私たちは校歌を歌うことにより、自分を取り巻くあらゆるものに包まれて生きていることを感じ取ることができる。生まれ育った土地を愛し、そこで学校生活を送ることのできる本当の幸福が、心を込めて校歌を歌うことによってよりいっそう深まるかもしれない。
一枚のカードが、校歌を誇りをもって歌う心を呼び起こしてくれた。
(高等学校教育課指導主事)
感動
会田千香子
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「すごい…」「やったあ!!」生徒や先生方から大きな拍手と歓声が湧き上がった。校内文化祭の前日に西郷第二中学校の正面玄関の屋根から巨大壁画を吊した時の出来事でした。夕闇に包まれ、車の明かりでライトアップされた葛飾北斎の冨獄三十六景「神奈川沖浪裏」は原作品もすばらしいものですが、全校生徒の手による巨大な模写も、風に揺れると今にも波が怒濤のように迫ってくる錯覚を覚えるほどの力強い迫力にあふれた作品となりました。作品を見上げながら、学校全体で力を合わせ、協力してやり遂げた成就感と喜びを味わうことができ、感動的な光景となりました。
最近、「感動」という言葉をよく耳にするようになりました。現代が失っているものに対する反動として使われているのかもしれません。あまり流行語的に使われると言葉のもつ本来の意味が消えてしまいそうにも思いますが、「感動」という体験は心を育む大切な部分のように思います。感動体験を多くもつ人、もてる人はきっと心豊かな人であるはずです。自分自身の感受性を磨かなければならないという自戒の気持ちと同時に、そのような体験を与えられる手立てを授業の中でもとれるような指導力を身に付けなければならないと反省する次第です。
今回の全校生徒による巨大壁画制作はまさに学校全体で感動を共有することができたすばらしい体験でした。このようなことができたのも、企画の段階から全校生の先頭に立って指揮をとっていただいた校長先生をはじめ、先生方のご協力があってのことでした。感動は時として向こうからやってくる時もありますが、積極的に創造的に関わった時に得られた感動は、いつまでも心に残るものと思います。汗を流し合い、励まし合い、ともに苦労をして得た今回のそれは格別のものでした。
卒業式の日、巨大壁画は体育館のギャラリーで卒業生を温かい眼差しで見送りました。絵画を通して共有した在校生、卒業生のそれぞれの思いを秘めながら 。大きなうねる波は船出とともに、これから生徒が出合うであろう社会の厳しさと、それに負けない猛々しさへの期待、そして荘厳な富士は生徒の未来の大いなる指標のように語りかけてきました。生徒たちの未来に幸多かれと。
(西郷村立西郷第二中学校教諭)
授業の中の誠実さ
荒明茂樹
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数年前、私が以前勤務した学校で授業研究があった。授業者のB先生は、教職三年目の若さ溢れる教師だった。
大勢の先生方が集まる中での四年生の算数の授業だった。たくさんの参観者の中、彼は、全く臆することもなく、子供たちと向かい合っていた。かなり大胆な試みを含む授業だったように記憶している。
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