教育福島0202号(1997年(H09)04月)-027page
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しかし、授業が進むにつれ、見ている私たちにも彼の苦労がはっきりと見えるようになってきた。立ちすくんだり、迷路に入ったりしてなかなか思い通りに子供が活動していないのがわかった。自分の描いた授業を目指して格闘するような四十五分が過ぎていった。
授業後、子供たちに言わせると、
「すごく緊張したね」
「でも、がんばったよ」
「先生、迫力あったね」
授業は終った。授業者本人は、納得がいかないらしく、かなり落ち込んだ表情をしていた。でも、私はこの授業に若い彼の持つ逞しさと清々しさを感じた。
よく、この授業は成功だとか、失敗だとか言われる。教材の解釈はどうか、発問はどうかなどの視点から分析された結果であろう。しかし、それだけでよいのだろうかと、彼の授業を見て思った。彼の授業のように子供に対する誠意があるかないかでの評価もされなければならないのではないか。
そんなことを考えながら、失敗を恐れて、パターン化され、固定化された学習展開案を作り、少しでも予想のできない事態が生じないように子供を教師の敷いた線路の上に乗せて授業をやってしまっている自分に気がついた。
彼のように自分の試みたいことを携えて子供に真正面からぶつかり、そこで活動する子供たちをしっかり見据えようとする授業者としての誠実さを慣れや経験という名のもと忘れてしまっている授業が私にも多々ある。
B先生の授業は、授業設計上、確かに問題の多い授業だったかもしれない。しかし、徹頭徹尾、子供たちへの誠実さに満ちたものであった。
だから、子供たちはそれを真剣に受け止め、先程のような授業後の感想を持ったのだろう。
B先生がこの授業で見せた、子供への取り組み、誠実さこそ、本当の若さであり、そのことを忘れてしまっていた私は彼を羨ましくさえ思った。と同時に、教師として本当に大切なことを彼から教えられたような気がした。
(喜多方市立関柴小学校教諭)
A子
鈴木容子
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ある日曜日の午後、本屋でA子に会った。間もなく高三になるA子はとても明るくはつらつとしていた。「がんばってる?」
と話しかけると、
「お久しぶりです。先生も元気そうですね」
肩を並べ駅まで行く途中、ぽつりぽつり話すA子の言葉に、「うん、そうだね」「なるほど」と聞き手にまわった。会話が進むうちに、高校一年生の三学期まで無欠席でがんばったこと、成績はクラスでも二番になったこと、心を開くことのできる友達がたくさんできたことなど、とつとつとした語り口であるが、目を輝かせながら話してくれた。
A子と出会ったのは中学一年生の時だった。一年生の二学期後半から休みがちで、三学期はほとんど登校できなかった。同僚の先生にA子の家庭や交友関係などを聞くたびに、自分がこの子とうまくかかわっていけるかとても不安になった。でも、逃げるわけにはいかない。A子に対して先入観をもたずに体当りしていこうと固く誓った。
まず、学活ではA子の悩みを学級みんなで考えた。そして、一人一人が所属感をもって信頼し合いながら生活できる学級を作ろうと強く訴えた。
そして、家庭訪問。しばらく見ないA子は、青白くやせていた。視線が定まらずおどおどしているようにも感じられた。
「これからも遊びに来ていい?」
と聞くと、ただ黙ってうつむいていた。それから数カ月、空き時間、放課後等時間を見つけては家庭訪問を続けた。ある日、同じように学校に行けないでいたA子の兄が玄関に出てきて、
「妹がうらやましい」
とぽつりと言った。その日からA子と兄と私の三人の関係が深まっていった。折に触れて私の辛かったことや友達に助けられたことを話した。「A子ちゃんは学校に行きたくても行けないで苦しんでいるんだよね」と肩に手をやると、少し涙ぐんで大きくうなずいた。しばらくして母親から、A子が教科書をそろえていると電話があった。私の心臓は高鳴った。「あせるな」と自分に言い聞かせ
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