教育福島0202号(1997年(H09)04月)-033page

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漫(そぞ)ろ神の物につきて

県立福島高等学校教諭

五輪美智子

 

に輝く三月堂の件(くだり)などは、何度読んでも胸に漣(さざなみ)が立つ程だ。

 

古寺といえば誰しもが和辻先生の「古寺巡礼」をあげるだろう。月光に輝く三月堂の件(くだり)などは、何度読んでも胸に漣(さざなみ)が立つ程だ。

しかし敢えて私は、心に残る一冊の本として町田甲一先生の「大和古寺巡歴」を紹介したい。先生は若き日に和辻哲郎先生に学び、更に実証主義的様式分析を厳しく重んじる児島喜久雄先生にも学ばれた学究の徒である。

「古美術の観照はいかようでも自由だが、気分で文学的、哲学的に見るだけで果たして真の観照といえようか、危惧が残る。」と考えた先生は幾度となく襲いかかる大病をものともせず、美術史家としての冷徹な視点から古寺を見直したいとの悲願からこの著(ちょ)は成る。

和辻先生が天下随一の仏像の名作を聖林寺の十一面観音としたのは有名な話だが、町田先生は不空羂索観音をあげて譲らない。実はそこが気に入ったのである。

私は生意気にも建物なら東大寺三月堂、仏像は、剛なら「三月堂不空羂索観音」柔なら「法隆寺百済観音」情なら「中宮寺弥勒菩薩」塔なら「薬師寺東塔」人なら「唐招提寺鑑真和上像」と思い込んでいるからである。この独断に一つ一つ丁寧に美術史学的に答えてくれるこの本は今や古都を旅する私の良き道連れの一人になっている。

この春、室生を訪れた。薄日は射すものの折節風花が舞う室生口大野の小さな駅から飛び乗ったタクシーの窓外の景色に私は唖然としてしまった。工事、工事、工事。女人高野に観光客を誘致するための道路拡張とトンネル工事とか。

複雑な思いを振り捨てるように一気に急な鎧(よろい)坂を登ると、金堂が春の日射しに輝く。念願の十一面観音はほの暗い金堂の奥で微笑む。こうなると千古不易の美しき者の前で私は言葉を忘れ脱帽するのみ。

家に帰るやまたこの本が、混(そぞ)ろ神と化し、道祖神と共に私を古都への旅へと誘(いざな)うのである。

 

本の名称:大和古寺巡歴

著者名:町田甲一

発行所:講談社

発行年:一九八九年十月十日(第一刷)

本コード:ISBN四-〇六-一五八八九九-〇

 

もらった色

養護教育課指導主事

安藤俊典

 

といって、子供とのかかわりがうまくいくかというと、そうでもないようです。

 

障害児教育関係の分野は大変すそ野が広く、医学、教育、心理学、福祉等さまざまな立場から入り込んだ用語があります。しかし、これらの内容の多くを学んだからといって、子供とのかかわりがうまくいくかというと、そうでもないようです。

私たちが子供とかかわるとき、「こうなってほしい」「あのようになってくれたら」など、さまざまな願いがありますが、この願いがあまりにも強すぎるとかえって子供との関係において、空回りしてしまうことが私自身多くみられました。

そんなときこの本は多くの示唆を与えてくれました。それは染織家・志村ふくみ氏(人間国宝)の「もらった色」という一文です。全文紹介できないのが残念ですが、その中で「色は植物からいただくのです。 自分で色を出そうと思わずに、あなたのまわりの植物から色をもらって下さい。そうすればその色が大事になりますよ、その色に何かもう一色かけて殺してしまうようなことは決してできないでしょう、 」という一文は、まさに子供とのかかわりで基本となることを教えてくれております。

基本となるところは何事にも共通しているものです。

この本を通して、子供たちとのかかわりで大事なことは、子供を伸ばそうとすることではなく、子供の思いを分かろうとすることだということをあらためて考える機会を得ました。

子供たちは、自分の願いや不安を汲み取ってくれる人を信頼し、そのような人に対する信頼を土台にして、自ら生活を広げていきます。子供を自分のペースに引き込もうとすると、子供は逃げるのが当たり前です。子供のペースに歩み寄り、そこからお互いの生活を広げていく大切さを感じた次第でした。

 

本の名称:語りかける花

著者名:志村ふくみ

発行所:人文書院

発行年:第一刷 一九九二年九月三十日

本コード:ISBN四-四〇九-一六〇五八-三

 

 

 


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