教育福島0203号(1997年(H09)06月)-006page
提言
家庭教育に思う
福島県高等学校長協会長
渡邊專一
「子供の自主性を尊重し、その成長を温かく見守って行きたい」とは、今やどの家庭においても聞かれる言葉である。そして、それ自体当然の願いでもある。
ところで、その「自主性の尊重」についてであるが、子供たちが、ことにあたるにあたって自主的に判断し行動できるためには、当然のことながら、それを判断するための基盤となる要件がすでに備わっていなければならない。しかしながら、この基盤となる要件までも含めて、自主性・主体性の範疇であると考えているとしたら、それは、親として誠に無責任と言わざるを得ないであろう。何故なら、子供たちは、あくまで成長・発達段階の過程にあるからである。
仮に、このことを教科の学習に例をとっても、それを理解することができよう。数学の問題を解くにしても、そこには必ず備えていなければならない基礎的事項があって、それを活用することによって初めて問題が解決されるのである。ちなみに解答を引き出すための基礎は教えられて体得するのであって、それまでも自ら会得することは不可能に近いのである。
さて、さきの中央教育審議会答申においては、家庭教育の充実・改善について特に強調されており、その具体的方策の一つとして、「父親の家庭教育への参加」の必要性を訴えている。このことは、これまで必ずしも家庭教育の中での父親の役割が十分でなかったことの反省に立って、その重要性を再認識する必要があるということである。