教育福島0203号(1997年(H09)06月)-009page
とが大切である。
三 生徒指導の機能を生かして
1 自己決定の場はあるか
「素直で、指示されればやろうとするが、進んで課題に立ち向かうなどの積極性に欠ける。」という児童生徒の実態に関する表現に出会うことがある。
すなわち、指示待ちということである。では、日々の教育活動の中で、「自己決定の場」を設け、進んで行動する場が設けられているかというと、必ずしもそうでないことがある。
日々の学校生活の中で、一人一人の児童生徒が、自己決定できる場を保障することが大切なのである。教科学習の中で、課題を自分で設定する、あるいは学習内容や方法を決定する、自分の考えを持ち、発表するなどの場の設定が大事なのである。自分で選び決定し、その結果に責任を持つ、そういう学習の場を意図的、計画的に積み重ねていくことである。失敗を恐れず行動できるように、教え見守り指導援助していくべきである。
「初めは誰だってできないんだよ。」「そうそれでいいんだよ。やればできるじゃないか。そこまでできればたいしたものだ。」
と活動の過程を認め、賞賛し、自信を持たせるような指導を意図的計画的に行うべきである。
2 自己存在感を感じているか
友達と言葉を交わし、心を通い合わせる、あるいは自分の能力や自分らしさを発揮する場があってはじめて人間として、仲間や回りの人に認められているという存在感を感じることができるのである。
自分の力を発揮することができず、親からも教師からも認められず、学級や学習集団の中で自己存在感がなく疎外感のみが自身の中に膨れあがっていくことが、問題行動等児童生徒の背景にあることを見逃すべきではない。個々の児童生徒が、自分らしさを発揮し、それが教師や仲間に認められる、それを自分が自覚することができるようにすることが大切である。一面的に学習だけの評価で、児童生徒を見てはいけないことは言うまでもない。例え、学習は十分でなくとも、ユーモアのセンスを持っているとか、掃除を嫌わず進んで行うなど、それぞれの児童生徒のよさや特徴などをよくとらえ、教師自身はもちろん、児童生徒同士でも、幅広くお互いを認め合い、一人一人がかけがえのない存在であるという認識を高め合うよう絶えず気を配っていくことが大切である。
3 人間的な触れ合いがあるか
児童生徒同士や児童生徒と教師との間に普段からコミュニケーションがあり、互いに一人の人間として、相手の立場や心情を理解しようとしたり、相手を善意に解釈したりできる人間関係、そういう共感的な関係を育てていくことが大切である。特に教師と児童生徒との間では、教師が児童生徒の行動を自分の在り方と関係づけてとらえるときに生ずる。たとえば授業中集中できず騒ぐ子がいればその行動を叱る前に教師は「自分があの子どもに集中させ得ない授業をしていたのか。」という授業の反省としてとらえることである。このような教師の構えから教師は自分の人間的弱さを十分自己理解し、それを克服すべく努力とするということが生ずる。これが児童生徒とともに努力する教師の姿となり、児童生徒はその教師に共感関係を感じとるのである。
これら、自己決定、自己存在感、人間的触れ合いは生徒指導の主要な機能である。この生徒指導の機能が生かされて、全教育活動が展開されていれば、児童生徒は学校生活を生き生きと送ることができる。教師もまた、やりがいのある教育をすることができるのである。そこで、自分の担任している学級などを、この生徒指導の三つの機能の面から絶えず見直していくことが大事である。
四 学校・家庭・地域社会の連携
1 学校教育の人間化
先の臨時教育審議会の答申では、「学校教育の人間化」ということが学校教育の課題であると述べられている。すなわち、児童生徒相互の人間関係、児童生徒と教師の人間的な心の交流を大事にし、人間としてたくましく生きる力を育て、豊かな人間形成を図るよう努めることが大切であるということである。
それはまた、裏返せば「学校教育は真に人間的環境であるか」という厳しい問いかけである。各学校においては教育活動を見つめ直し、児童生徒が人間として育つ学校環境として見たとき、問題はないか、検討していく必要がある。
2 開かれた学校
児童生徒の育成は学校だけでできるものではない。学校・家庭・地域社会の連携なしには実現できない。
そこで、学校は家庭や地域社会に積極的に働きかけて、保護者や地域の人々に学校教育の現状や課題等について理解を得る努力をするとともに地域の人々や保護者、関係機関の意見を十分に聞き学校教育に反映さ