教育福島0203号(1997年(H09)06月)-026page
は、教職経験の浅い私にも数知れないほどたくさんある。そんな中で私が常に心がけていることが一つある。それは「一所懸命」である。月並みな言葉ではあるが、これが私のモットーである。日々の教育活動を展開していくうえでは、様々なことに出くわす。いいことばかりではない。壁に突きあたることもある。思い悩むこともある。しかし、今目の前にしている子供たちのために、教師としての持てる力を最大限に発揮していこうとする姿勢が必要だと思う。教師の姿が子供たちに影響を与えるというのなら、いい加減なことだけはしたくない。常に一所懸命子供たちに接していきたいと思っている。それでも実際には、自分の指導力不足に後悔し、反省する毎日なのだが 。
このような時に「先生のおかげです」という手紙は、私には大きな励ましと、このうえない宝物となった。
私に手紙をくれた生徒は今ごろ、東京という大都会の空の下で、期待と不安を抱きながら、与えられた任事に一所懸命取り組んでいることだろう。私も負けてはいられない。今目の前にしている子供たちのために何事にも「一所懸命」取り組んでいこうと思う。
(二本松市立二本松第二中学校教諭)
上海に行って考えたこと
小林めぐみ
今年の三月、四年ぶりに上海を訪れた。四年という時間は決して短くはないけれど、街並みのあまりの変化に私は呆然とした。市街を走る高速道路が整備され、巨大なビルが林立している。空港付近の新興住宅地には可愛らしいが画一的なマンションや家が建ち並び、メインストリートの南京路沿いにはフェラガモやヴィトンのブティクが軒を連ねている。四年前には工事中で様子のわからなかった川岸はすっかり奇麗になって山下公園のようだ。おかしい。これでは東京のようではないか。
私の混乱は、私が勝手に抱いていた上海という都市に対するイメージと現実とのギャップのためであった。私のイメージの中では租界時代の上海が大きな割合を占めていたらしい。四年前にはあまり感じなかったそのギャップが、今回あらわになったのである。
考えてみれば勝手な話だ。都市が生物である以上、日々変化してゆくのは当たり前のことなのに、日常生活から離れた旅行者は旅行先に非日常性を求めたがる。
しかし一方で、旅行者に持たれるようなイメージは、ある程度その都市の過去の現実を反映しており、それは完全に切り捨ててしまうわけにもいかないものなのだ。特に観光都市であるなら、なおさら日常と歴史の折り合いをうまくつけていかなくてはならないのだろう。
そのような中で文化施設の役割は重要になってくる。昨年リニューアルオープンした上海博物館は、青銅器を模した巨大な姿で人民広場の中央に建っていた。その外観に関しては賛否のわかれるところだろうが、中味は十分に濃厚だった。圧倒的な量の青銅器と陶磁器。書・絵画・印璽から家具や民族衣裳までの多種多様な文物が歴史を物語り、四千年の時間をわずか一日でめぐった結果、博物館を出た時には頭がクラクラしていた。
町並みがどれほど変わっていっても、このような施設を上手に活用してゆけば、差引ゼロ+αぐらいにはなるのではないだろうか(やはりある程度景観は大事だと思うが)。
同様に観光地・会津若松にある福島県立博物館に勤めて一年の新入学芸員は、上海に行ってこんなことを考えた。
さて、福島県立博物館はどうだろうか。
(県立博物館学芸員)
いきいきふれあい広場
山根国愛
「不登校で家に閉じこもりがちな生徒を外に連れ出そう」をめあてに、昨年度、郡山市教育委員会主催で、「いきいきふれあい広場」が三度実施されました。私も市委嘱の学校カウンセラーとして、この行事に参加させていただきました。