教育福島0203号(1997年(H09)06月)-028page

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ことは、一割引か二割引でしか相手の身に付かないということである。このことは、弓だけでなく、毎日の教育の中でとても大切なことであり、私の教育観でもある。

教員になってから、たくさんの子供たちとの出会いがあった。私がそうであったように子供たちにもすばらしい「出会い」をしてほしいと思う。そして、子供たちにとって「私」との出会いがすばらしいものになるように日々努力して行きたいと思う。

(双葉町立双葉北小学校教諭)

 

I先生をめざして

浮田直希

 

。何がおもしろいのか私にはさっぱりわかんなかったよ」といまだに言われる。

 

小学校三〜四年生のころまで、私は本気で電車の運転手になるつもりでいた。電車が大好きだった私は近くの駅まで見に行ったり、時にはだだをこねて親にわざわざ車で遠くの駅まで連れていってもらったりしてとてもうれしかった。また、電車の本をたくさん買ってもらい、種類や電車が走っている区間などをいろいろ調べたりした。親には、「あんたは小さい時よく電車の時刻表を見ていたねぇ。何がおもしろいのか私にはさっぱりわかんなかったよ」といまだに言われる。

それから中学生、高校生と成長するにつれてなりたいものもいろいろ変わっていった。あるときはパイロット、またあるときは野球選手、またあるときはそろばんの先生などなど 。

なりたいものはそのときそのときでいろいろ変わっていったが、そのときなりに本気でそう思っていた。

このような中で私が学校の先生になりたいとはっきり思うようになったのは高校生のときだった。その背景には、小学校の四年から六年まで担任であったI先生の存在が私にはとても大きい。I先生はとても優しい先生であった。サッカーをやっていてシュートが決まると、まるで自分のことのように喜んでくれた。また、家庭訪問のときには先生の車に乗せてもらい、サンルーフをひらいて車の上から顔を出しながら走ってくれたときは本当に楽しかった。わずか三年間ではあったがI先生と出会ったことが、高校時代の私を教職の道へと向かわせた大きな要因となっている。今考えてみると、I先生は一人一人の子供たちのよい所をよく知って、温かく励まし、やる気を引き出してくれる先生であったように思う。

昨年一年間、初任者としての教師生活の中で様々な生徒に出会うことができた。活発すぎてじっとしていられない生徒、内気であまり話をしない生徒、勉強が得意な生徒、得意でない生徒、スポーツが得意な生徒、映画にとても詳しい生徒、マンガ以外は本を読まないという生徒、友達関係や恋愛関係に悩んでいる生徒など数え上げればきりがない。

ところで私は、このような生徒たちに対してどれほどのことができたのだろうか。またこれから先、このような生徒たちに何をしてやれるのだろうか。そう思うと不安にもなってくる。私をこの仕事へと導いてくれたI先生のような教師に私はなれるのだろうか。これからの教職生活でどれだけI先生に近づけるか。今後の私の大きな課題の一つである。

(県立長沼高等学校教諭)

 

信じること、待つこと

渡部尚美

 

っていてくれたから、信じていてくれたから、話すことができたんだと思うよ」

 

「先生。いつも待っていてくれたから、信じていてくれたから、話すことができたんだと思うよ」

そう電話で話す彼女は、私の初めての教え子の一人です。

彼女は、話さない子でした。笑わない子でした。家に帰ると、話したり、笑ったりするのですが、一歩家から出ると、話せないのです。

教師になりたてで、「さあ、頑張るぞ」と意気込んでいた私は、何とかして、彼女を笑わせたい、彼女に話をさせたいと思いました。朝、学校に行くと、声をかけ、いろいろ尋ねてみたり、休み時間には、むりやり校庭に引っ張り出し、手をつないでおにごっこをしたり。しかし、結果は、いつも失敗ばかり。いつしか彼

 

 

 


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