教育福島0203号(1997年(H09)06月)-034page

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心に残る一冊の本

 

ことばは意味を伝達できない

福島大学教授

庄司他人男

 

ある授業とは、どのようなメカニズムで成立するのかに強い関心をもってきた。

 

私は十数年まえから、学校の教育活動の中心である授業とは、どのようなメカニズムで成立するのかに強い関心をもってきた。

その背景には、受験体制だから暗記主義になるといわれるが、それをなくするだけで、ほんとうに日本の教育はよくなるのだろうか、などの疑問があった。今のような授業観のまま受験体制をなくしても、勉強しなくなるだけではないのか、という懸念をどうしても払拭できなかったからである。

そのような意識で模索をつづける過程で出会ったのが、言語社会学者によるこの一冊である。

とりわけインパクトが強かったのは、以下の三点であった。

1) 辞書はことばの意味を説明しない。

2) 「意味」は、個人個人によって、非常に違っている。

3) ことばの意味は、ことばによって伝達することはできない。

これらのことは言語研究者の間でもそれまで十分には認識されてこなかった、という。最近の脳生理学によれば、「意味は生命から発生する」という。「意味」は何らかの情報(ことば等)が刺激となって「発生」するのだとすれば、「伝達」などできないのは当然である。

もちろん、これまでの授業実践が、それらを十分に踏まえなかったという理由だけで批判されるべきではないが、それらのことを踏まえるならば、再検討すべきこともいろいろ出てきそうである。

単なる詰め込み主義では受験学力も低いレベルにとどまるのではないか、授業における「生きる力」の基盤となるのは何か、などという課題である。

本書は授業論書ではないが、人間の営みのすべてに関わることばの本質が具体的に、わかりやすく書かれており、たいへん面白い本である。ちなみに、今、店頭に出ているのは第四五刷である。

 

本の名称:ことばと文化

著者名:鈴木孝夫

発行所:岩波書店

発行年:一九七三年五月二十一日

本コード:ISBN四-〇〇-四一二〇九八-五

 

時間の園丁−−無限の時間を紡ぐもの

あさか開成高等学校須賀川校舎教諭

本多節子

 

もの」となり得るのだという氏の呼び声が行間に満ちていることも意識される。

 

武満徹の「時間の園丁」は、毎日新聞紙上の連載やコンサートのパンフレットの演奏者紹介文などを網羅したものである。最初から一冊の本に編むことを意識して書かれたものではないが、音楽を通して「言葉以上の深い理解や結び付きを可能に」した芸術家の面影がどの章にも明確である。各章とも、音楽や美術や文学や映画などすべての芸術に対する深い理解と愛情に満ちており、優れた見識が時として地球的な規模の国家論や文明論になっているのは、氏の日頃の研鑽のたまものだと思う。また、読み進めていると「物理的な豊かさはあくまで偶然の所産であり、生き方や美意識(人間性)を高めることこそ遥かに豊かで確かなもの」となり得るのだという氏の呼び声が行間に満ちていることも意識される。

私の勤務する「あさか開成高等学校須賀川校舎」では、各学期一回のスクールコンサートが回を重ね、今年度末には十五回を終了することになる。『いつも更衣室におきざりにされているかわいそうなピアノも今日はすごく幸せそう。先生の想いが、あのピアノをなんかすっごい高級品に見せたんだと思います。人の想いってすごいなあ』(第十回スクールコンサート演奏者へのメッセージ三年女子)このメッセージは、不登校であった生徒たちや一度ならず深い挫折感を味わっている生徒たちに音楽が時に喜びを与えるのではないかという思いを私たちに強くさせる。

"音楽"を通して、「素晴らしい時間を共有し得た幸運」を分かち合い、「他者との理解と結び付き」を深めさせることの大切さを、美しい装丁の書籍に導かれて、私は静かに考える時間を持つことになった。生徒たちも聴衆となって「物理的な豊かさ」ではなく「生き方や美意識」を高め、不変なる「感情の元素の基底」にまで降り立っているのだと信じたい。

 

本の名称:時間(とき)の園丁

著者名:武満徹

発行所:新潮社

発行年:一九九六年三月二十五日

本コード:ISBN四-一〇-三一二九〇八-五

 

 

 


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