教育福島0204号(1997年(H09)07月)-027page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

蛙鳴く田圃から

橋正美

 

ピタッと鳴き止む。まるで童話の世界の蛙仙人の一喝であったかのようである。

 

今夜も盛んに我が家の周囲ではたくさんの蛙が鳴いている。田圃に水が満たされるようになると盛んに鳴き始める蛙。 一斉に鳴き始め、いっとき騒がしく鳴き続けるとピタッと鳴き止む。まるで童話の世界の蛙仙人の一喝であったかのようである。

宅地化してきた我が家の周囲ではあるが、まだまだ、田圃や畑が多いのどかな農村地帯である。田植えもほぼ一段落したこの頃、毎晩、蛙仙人の指揮の元、大合唱が繰り広げられる。

一面水を湛えた日中の田圃は、まるで巨大な鏡のようであり、その風景は、実に壮大なものである。その巨大な鏡と化した田圃は、昔から大量の水を湛え、その水が、多くの生き物を育んできた。田圃がなかったら、既に今以上に生き物は渇水に悩まされてきたであろうと考えられている。いわば急ごしらえの人工の沼、溜め池と言ったところである。

人は、昔から雪解けとともに、三本鍬・四本鍬・五本鍬などを使い、田を耕してきた。ひと鍬、ひと鍬、来る日も来る日も、何日もかけ耕した。そして、苗代作り、田植え、手での草取り、田車(たぐるま)などと言う歯の付いた車を転ばしての草取り一条植えされた稲と稲の間を踏み倒さないように気を使いながら転ばしていく。それらは、体力と根気のいる仕事であり、とても忍耐力のいる仕事であった。

このような日々から、人は少々のことでは挫けない心の強さと粘り強さ、そして汗する喜びを身につけていったのではないだろうか。

また、人々は、結い・結い返しなどと言って、隣近所同士力を貸し合い、助け合い、協力し合うことの大切さを身に持って学んだ。それが、生きると言うことであった。

田圃は、人々の根気、忍耐力、汗する喜び、そして互いに助け合い、協力し合う人と人とのもっとも大切な関わりの在り方をも育んできたと言える。

秋、時間をかけじっくりと育てた稲がみごとに黄金色を放ち実った時、それは長い間の、正に文字どおりの汗の結晶と言えるだろう。この時、みんなで実りを喜び合い、長い間の互いの労苦をねぎらい合う秋祭りが行われた。

土や人と人との関わりをほとんど持たなくても生活できるようになってしまった現代、何かがおかしくなっているように感じる。すべて昔に返るということは無理ではあるが、土との関わり、人と人との関わりをもっともっと大切にする営みの輪を広げていきたいものである。

(養護教育センター指導主事)

 

今、思うこと

角張茂

 

しますよ。そのためには積極的に学校や地域にとけ込んでいきたいと思います」

 

「これからは開かれた児童福祉を目指しますよ。そのためには積極的に学校や地域にとけ込んでいきたいと思います」

本校の学区内にある児童福祉施設の副施設長先生のお言葉である。この児童福祉施設には、親からの虐待を受けている子供、家庭崩壊により保護者から養育を放棄された子供、その他、何らかの理由で親が子供の面倒をみることができなくなった子供たちが共同生活をしており、本校にも十七名の児童が通学している。普通の家庭の小学生と比べるとすでにハンデをもっている子供たちであるが、学校生活を送る姿は明るく活発であり、たくましい精神力も兼ね備えている。私たち教職員も副施設長先生が考えているような「開かれた児童福祉」ということに、微力ではあるがバックアップできたらと考えている。

さて、学校の中に目を向けると基礎学力の向上やいじめ・登校拒否などの生徒指導上の諸問題をかかえており、これらの教育課題の解決のために日夜多くの先生方が奮闘している姿が見られる。本校においては学級担任の半数が二十代という比較的経験の浅い先生で占められているが、若いながらも「いじめや登校拒否はいつでも起こり得る」という姿勢で頑張っている様子を見ていると、私が若いころに生徒指導で悩んでいる時に適切な指導をしていただいた先輩の言葉を思い出す。

それは、登校を渋る女子児童の指導に関して、何とか一日でも早く登校させることが最善の策と思い、解決を急ぐ余り指導の空回りになりかけた時のことだった。「急いで解決し

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。