教育福島0204号(1997年(H09)07月)-033page
〈子ども〉の哲学、頑張れ!
磐城女子高等学校教諭
島貫真
小学校の頃、友人や母に話しても理解してもらえず、いつも一人で考えていた疑問が一つある。それは「<ぼく>の見ている山の"緑"と他人の見ている"緑"の色が同じであるかどうかをどうやって確かめるのか」という問題だった。この問いは、当時の<ぼく>の中で第一級の難問であり続けたが、中学・高校へと進むにつれて、いつしか「人生いかに生くべきか」という課題がその位置にとって代るようになっていった。
ところが去年、この本の頁を開いたとたん、よくやく出会うべき友人にめぐり会えた、という思いが胸の中に広がり、懐しさと感動を押えることができなかった。
哲学の入門書でもあるこの本には、著者が子供の頃から抱いていた二つの問題が示されている。
「ぼくはなぜ存在するのか」と「悪いことをしてはなぜいけないか」である。前者は独我論的存在論、後者は倫理学の根本命題といえようか。その説明を読むうちに、私が子供の頃抱いていた疑問は、一見認識論のように見えるが、実は存在論的な問いだったのかもしれない、と思うようになった。だが、実は重要なのは論の中身ではない。この本が私にとって懐しく、感動的だったのは、自分の力、自前の思考で哲学するということの意義を、初めて平易にしかも力強く語ってくれる書物に出会えた喜びが大きなものであり、また、自分が感じた問いは、忘れ去られずにつきつめられて、よかったのだ。という共感がかけがえのないものであったからなのだ。
著者はまた、<子ども>の哲学は純粋であり、それゆえに何の役にも立たない、とも述べている。その通りだと思う。しかし、一見当り前のことを、自分にとっては不可避の問いとして問い続けていく営為は、それゆえにこそ、逆にある時、人を勇気づけもするのではないか?
全ての大人、全ての子供の心の中にある「哲学」に"頑張れ!"とエールを送りたくなる一冊である。
本の名称:<子ども>のための哲学
著者:永井均
発行所:講談社
発行年:一九九六年五月二十日
本コード:ISBN四-〇六-一四九三〇一-九
豊かな感性を
いわき市立中央台北小学校教諭
菅野輝義
人が「風景の美しさ」を感じる時、純粋な視覚だけでこれをとらえているわけではありません。温度、湿度、風のそよぎを肌で感じ、木々や花々の香りを味わいます。そして何よりも、鳥のさえずりや木の葉のざわめき、小川のせせらぎの音を耳で感じているからです。
「音」が単に耳だけの問題でなく体全体で感じる振動をも意味しているとすれば、「聴覚」は、視覚偏重の文化に対して五感全体の回復を訴える思考を代表する感覚となります。これが「サウンドスケープ」(音の風景)を重視する思想の意味です。
子供のころ、まだ家の付近は自然に囲まれていました。夏の夜、縁側で庭の響きに耳を傾けた思い出があります。庭や床下など様々な所から聞こえてくる戸外の音に包まれて眠りにつく心地よさを覚えています。庭の音。そこには、コンサートホールでは決して得られない味わいがあるものです。ここには、私たちが音楽として教育されてきた領域とは別の、「音の豊かな文化」があると思います。
本書の根底に流れているのは、人間の文化に感性・体験の面の豊かさを取り戻さねばならないという高度な文化論です。
子供の数が少なくなり、経済的に豊かになった日本の家庭では、進学熱が異常に過熱しています。偏差値を上げることが、子供の学力の中心的ものさしになり、あまつさえ、それが人間を計るものさしになっている傾向があります。そこでは、感覚・感情・思いやり・創意工夫・好奇心・ユーモアなどの人間的な感性は、ほとんど顧みられなくなっています。「生きる力」を身につけさせたいこれからの教育で、子供たちの豊かな感性に注目することは非常に意味があることだと思います。教育に携わる我々教師に、豊かな感性・体験をまったく別な面から考えさせてくれる良書だと思います。
本の名称:サウンドスケープ
〔その思想と実践〕
著者名:鳥越けい子
発行所:鹿児島出版会
発行年:一九九七年三月二十五日
本コード:ISBN四-三〇六-〇五二二九-X