教育福島0205号(1997年(H09)09月)-023page

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随想

日々の想い

ずいそう

 

化石のつぶやき

小野俊夫

 

子供は、化石が大好きである。

 

子供は、化石が大好きである。

「これ、何という化石?」「恐竜の化石見つけたいなあ」そんな時の子供の目は輝いている。

化石とのつき合いは、大学時代に始まるが、本当に化石のおもしろさや奥深さを感じたのは、県立博物館に勤めた時である。

調査等で県内各地の施設を回りさまざまな化石を見せてもらったり、現地で採集をしたりして、県内にも価値あるすばらしい化石が多くあることに驚いた覚えがある。

また、化石展などを開催するために、他県の博物館や大学にある貴重な多くの化石を見せていただき、県内の化石との類似点や相違点から、福島県の生い立ちや日本列島の形成まで思いを馳せた。

化石といえば、大学時代の恩師、鈴木敬治先生が忘れられない。鈴木先生は新生代の植物化石の大家で、地質学のいろはを現地調査で教えていただいた。先生は晩年「最近は足で稼ぐ学者が少なくなったね」と嘆いておられたが、先生は現地を徹底的に調査して多くの論文をまとめられた。

先生が、学生とともに収集された膨大な数の植物化石は、先生が大学を退官されると同時に県立博物館の第四収蔵庫に収められた。先生は退官されても、福島から月に一、二度、博物館を訪れ、今までの集大成ともいうべき、研究のまとめをされておられた。おいでになった時はそのお手伝いをさせていただいたが、化石を丁寧にルーペで観察し、「この化石は僕たち研究室の宝なんだよ」と、いつもおっしゃっていた。

植物化石の変遷を教えていただいて、地域の生い立ちや気候の変動まで見えてきた。まさに、足下から化石が語る世界が見える感じがした。

その後、私は学校勤務に戻ったが再び先生にお会いしたのは、先生の入院先の病床であった。

「先生、まだまとめの途中です。またお手伝いさせてください…」

「小野君、残りは君たちに任せたよ…」と冗談まじりで、気弱なことを言っておられた。

数カ月後、平成六年、先生は退院することなく他界された。

学者として、教師としての先生の研究室での真摯な姿を思い出す度、頭の下がる思いが、悲しみとともにおそってくる。

子供の目を輝かせる「化石」のロマンは、それを苦労して手に入れた者、科学の心を持った者しか語れない。そんな化石のつぶやきを、理科の教師として子供たちに伝えたいと思っている。

(南会津教育事務所指導主事)

 

音楽に寄せて

益子秀子

 

「先生の夢は?」

 

「先生の夢は?」

と、学級の子が聞いてきた。

「ピアニストよ」

と、迷わず答えた。日々の仕事に追われ、忙しくなればなるほど、何とかして時間を見つけ、ピアノに向かおうとする。肩書きのない素顔の自分自身が自由になる時でもある。

好きで始めたピアノレッスン、幼い時から毎日三十分は必ず弾き、それから遊びに出掛けた。中学のころには、三、四時間弾くのが日課であった。勉強よりピアノ。夢中になって弾いた。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、ショパン…。振り返れば、自分はずっ

 

 

 


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