教育福島0205号(1997年(H09)09月)-025page

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時代を越えて

渡部早苗

 

の中で思い、口に出そうとした。しかし、校長先生の笑顔は同意を求めていた。

 

前任の小学校でのことである。あるとき、校長先生が、「私たちが小さかったころ、何か良いことをすると小豆が一粒もらえたんです。そのころ、小豆は貴重で、それを空き瓶の中に溜めておいて家であんこにしてもらって食べたんですよ」と、話してくださった。良いことをしてもらった小豆で作ったあんこは一段とおいしかっただろうと想像した。「小豆では小さすぎるからささぎならどうでしょう」「えっ?」まさか今同じことを?と、心の中で思い、口に出そうとした。しかし、校長先生の笑顔は同意を求めていた。

正直なところ、物の豊富な現代に生きる子供たちに通用するだろうか、ささぎをもらって喜ぶだろうかという懸念があった。私の表情からそれを察知されたらしく、「でも、やってみましょう」と、その笑顔は輝いていた。

子供たちは、初め、何とも不思議そうに、もらったささぎを眺めていた。

進んで良いことをしたり、他人に親切にしたり、自分の力を伸ばそうと努力したりしたときにささぎがもらえる。そして、珍しい物を発見したり、面白い日記や詩を書いたりして豊かな感性を発揮したときにもささぎがもらえる。

私たちもささぎを持った。子供たち一人一人の良いところ、頑張り、言葉や動作の輝きを見逃せない。

一か月もたたないうちに、子供たちは、とてもうれしそうにきれいな空き瓶にささぎを入れるようになってきた。

何と、校長先生の数十年前(失礼)の経験は蘇り、現代の子供たちにも通用している。その喜びは全く同じではないかも知れない。少しだけ違うところは、今の子供たちにとって、ささぎそのものがそれほど価値のあるものではないということである。子供たちが求めていたのは、ささぎと一緒にもらえる暖かい言葉、心、そして、認めてもらったという実感なのだろう。

今、中学校で、一人一人の学力向上を考え、進路への意識を高めようと努力しているつもりであるが、その中でも、校長先生に教えていただいたこの普遍の原理を忘れず、一人一人のよさや可能性を認め、励ますことのできる教師でありたいと思う。そのことが、自分の力を伸ばそう、高めようという気持ちを育て、人のよさを認めることのできる生徒の育成にもつながるものと信じている。

(只見町立明和中学校教諭)

 

ふれあい

佐々木一雄

 

A電話が鳴った。「もしもし、覚えていますか」「覚えているよ。A君でしょう」

 

ある日、電話が鳴った。「もしもし、覚えていますか」「覚えているよ。A君でしょう」

それは、前任校に初めて赴任したときに担任したA君からの電話であった。A君については、担任のほかに卓球部の顧問とキャプテンとしてのつき合いもあり、特別な思い出があった。特に、前任校は、新採用時の勤務地いわきから地元に戻って初めての勤務校でもあり、さらに、家が近いこともあり、弱小チームであった卓球部を強くしようと毎日、夕方遅くまで練習させたものである。その中でもA君はキャプテンなのにあまり上手でなかったので、厳しい千回ラリーなどを課してなんとか試合に出ることができるようになった。そして、三年生の最後の郡大会では三位になり相双大会への出場が決まったときはA君と部員ともども感激したものであった。

「この度、結婚することになりました。先生にぜひ出席して頂きたいと思いまして、お電話さしあげたのですが」「それは、おめでとう。ぜひ、出席させていただきます。ところで、お相手はどなたですか」「中学校のとき同じクラスにいたBさんです」「なに、僕は、全然知らなかったな」

Bさんに聞いたところによれば、統合中学校である前任校に別の小学校から二人が入学して、別々のクラスにいたが、A君は、Bさんに何かと、いじわるをしていたという。しかし、二年生になって一緒のクラス

 

 

 


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