教育福島0205号(1997年(H09)09月)-026page

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になったときのある日、給食のとき牛乳当番になったBさんのために、A君は牛乳を運んであげたそうである。いつもA君にいじわるをされていたBさんはそれをきっかけに、A君に好意をもつようになり、二人は急に接近し、十年越しの恋を実らせて今日に至ったとのことであった。

あんなに子供であった彼らがもう結婚するなんて信じられないくらいであったが、あらためて、教師と生徒のふれあいの大切さと職責の重さを自覚させられるとともに、励まされた気がした。今、受け持っている生徒たちもやがて立派な大人になっていくのである。

講師時代も含めて教職年数二十二年を過ぎようとしているが、いじめや不登校、その他様々な問題等、新任時代とは比べようもないほど、生徒を取り巻く環境が激しく変わりつつある今、どのように生徒を導いていけばよいのか悩むことも多い。しかし、生徒とともに教師も成長するという原点に戻り、日々の教育活動を通して真剣に生徒とふれあっていきたい。

(小高町立小高中学校教諭)

 

子供の変化を見抜く感性を

新井川美千枝

 

の景色も、日々微妙な変化をくり返し、一日として同じ姿を見せることはない。

 

自然環境に恵まれた◆尾小に勤務して三年目。通勤時間が片道約四十分、車窓から眺める四季折々の風景を満喫しながらの通勤は、時として私に感動を与えてくれる。特に、草木が萌え始め、切り立った岩山にピンクの可憐な花が彩りを添える春。また山々が錦を飾ったように色鮮やかに変化する秋の風景は、京都の嵐山にも劣らない。私たちの目を楽しませてくれるこれらの景色も、日々微妙な変化をくり返し、一日として同じ姿を見せることはない。

毎日一緒に過ごしている子供たちの変化についても同じ事が言えよう。この大自然の変化を目のあたりにした時、数年前の一つの出来事が私の脳裏を去来した。

「Y男が今朝も学校へ行きたくないと愚図っているのですが…」と困り果てた声でY男の母親から自宅へ電話があった。晩秋のころで天候が悪く肌寒い日が続く時に限って、Y男は登校を渋った。また、そんな時は父親が不在でもあった。Y男が休んだ日は家を訪れ、一緒に勉強をしたり友達の話をしたりした。しかし、その日は都合が悪く、顔を見に行くことができなかった。

彼の事が気になりながらも、家事を済ませた。時計は十時半を回っていただろうか。静寂を破って突然電話のベルが鳴り響いた。受話器からは、困惑したY男の母親が震え声で「Y男が家に帰って来ないんです。家の回りは探したんですが…」と。そこまで話を聞いてすぐにY男の家へ向かった。母親から詳細を聴き、川岸や空き家等を懐中電灯を片手に探し回った。そう遠くには行かないだろうという母親の言葉を聞いてもう一度家の近くを探してみた。と、その時、懐中電灯の光の中にY男の姿を発見することができた。息を潜めながらも「早くみつけて」と言わんばかりの表情で白い壁に身を寄せていたY男を見つけた時は、驚きと同時に無事で良かったという安堵で涙がこぼれた。泣きながら腕の中に飛び込んで来たY男を見て、顔色が優れず無気力を感じさせる彼の変化の原因について、しっかり探らなかったことを悔やんだ。

その後、両親との話し合いで専門医のカウンセリングを受け、元気に登校することができるようになった。

このように、大自然が徐々に変化して四季折々のすばらしい景色が醸し出されるように、子供たちも変化をくり返しながら成長していくことを忘れず、どんな小さな変化をも見抜く感性を高めて行きたい。子供たちの健全な成長を促すために。

(◆尾村立◆尾小学校教諭)

 

太平洋の見える学校で

清野喜次

 

りいわき市では一番北にある四倉高校にお世話になることになった。赴任してす

 

昨年度末の人事異動で十一年間勤務していた磐城女子高校よりいわき市では一番北にある四倉高校にお世話になることになった。赴任してす

 

 

 


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